風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

飲み会にて

一昨日の会社の人達との飲み会。
僕より少し年上に先輩たちは会社の方針について激論を戦わし、口喧嘩寸前になり、
嘆き、憤慨し、糺弾する。
僕も時々は口を挟んでいたのだけれど、そのうち気づいた。
僕は、こんなに熱く会社のことを考えていない、と。

嘆くにせよ、憤慨するにせよ、糺弾するにせよ、それは関心があるからだ。
「愛」の反対語は「憎しみ」ではなくて「無関心」だ、という。
僕は「無関心」ではないけれども、今の会社という共同体について熱い思い入れは
持っていない。

僕は仕事は好きだと思う。
真面目に一生懸命、しかもそれを結構楽しみながらやっているほうだろう。
でも、会社に入ってからずっと「運命共同体的一体感」はずっと感じずにここまで来た。
あの学生時代にクラブに対して感じたような一体感。
会社そのものに対しても、経営者に対しても、仕事仲間のほとんどの人に対しても、
ずっとある種の「違和感」を感じ続けてきたと思う。
それが、僕をして「会社」に距離を取らせてきたのだろう。

では同じ共同体でも、ある共同体には感じられる熱い思い入れが他の共同体には
感じられなかったりするのは何が原因なのだろう?
そこに集まる人達との肌合いの違いなのだろうか?
それとも、その場における自分のかけがえのなさ?
それとも、その場において、どれほど自分が力を振るうことができるかなのだろうか?

どの理由も、違うとは思わない。
しかし、そのどれもがぴったりの理由でもない。
しかし、会社のことについて感情を込めて熱く語れる人達を見ていて、やっぱり
自分はこの人達と違う異邦人だ、と思う。
しかし、それに対して寂しいとさえ思わない。
ある対象に対して関心が深くない、というのはこういうことなんだな、と改めて思う。