風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

匿名は悪?(1)

一つ前の「ウェブ人間論」の記事で平野氏のネット上の匿名についての危惧を
ご紹介した。
内容は要約すると以下の二つになろうかと思う。

1)匿名での意見表明は、結局本来リアル社会に向かうべきエネルギーを無意味
  に霧散させていることになりはしないか。
2)匿名の分身をネット上に作ることは「ネット=本当の本音の自分」「リアル
  =実社会での仮面の自分」という形に個を二つに分裂させることになる。
  これは日常の社会生活を希薄化し、他者からの理解を遠ざけてしまうのでは
  ないか?

(この本の内容だけではその真意を汲むのに十分ではなかったので、江島健太郎氏
 のブログでの平野氏の以下コメントも参考にしました)
    平野氏のコメント

まず1)については、本来リアル社会に注がれるべきエネルギーがネットで(愚痴
のような形で)消費されてしまい霧散する部分も正直あるだろう。
しかし、そのエネルギーが単に霧散して消えるかどうかはわからない。
何故ならオープンなネット空間で放たれた言葉は、放たれた瞬間に公共のものに
なり、他者の目に触れる可能性を持つからだ。
霧散するはずだったエネルギーが、他者を動かすことだってあるのではないか。

匿名の書き手のエネルギーがネットで読んだ他者の心を動かす可能性と、書か
ない人が内面のエネルギーを直接社会や周囲や政治の変革に向ける可能性と、
どちらが大きいのだろう?
データを持っていないので確言できないけれど、僕は、ネットで匿名で書いて
いる人達が書くことを止めることによって、そのエネルギーが直接、社会変革
に向かうようになるとは思えないのだ。
単に黙ってしまい、フラストレーションを溜めるだけに終わるのではないだろうか?
サイレント・マジョリティー」に戻ってゆく、という訳だ。

もう一つ指摘したいことがある。
書くことは、おのれの思考を整理し規定してゆくことでもある、ということだ。
例えば自分の政治的な立場を自覚的に持っていない人が、何かの事件がきっかけで
自分の意見をブログにアップするとしよう。その時(僕もそうだし他のブロガーの
皆さんもそうだと信じるが)最初は自分の内部では曖昧模糊としていた考えが、
言葉の力でクリアに収斂してゆくことが経験されるはずだ。
リアルであれ匿名であれ、言葉には自分の思考を整理して固定化する力があるのだ。
だから、それまでノンポリだった人が、書くことを通して自分の政治的な立場を
見出してゆくことだってあるだろう。
その効果も考えにいれなくては「エネルギー霧散論」は公平とは言えないと思う。

          (長いので、次回に続きます)