風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

美瑛で考えたこと

丘の風景が美しい北海道・美瑛を旅して一週間が過ぎた。
激しい精神的打撃を受けたことも薄皮が張るように少しずつ癒えて、心はいつしか
平常心を取り戻している。
人間の心というのはタフに、そして便利にできているものだ。
いま、写真ブログPHOTO ALBUMに美瑛の写真をアップしているところ。

旅のあいだ、僕はメモを取っていた。
そこには、僕のその時の思考が生の形で残されている。
それはこんな言葉達だった。

【引用始まり】 ---
自分は思考の人ではないと感じる。
こういう静かで美しい場所で変わりない日々を静かに過ごし、孤独の中で思索に
ふけるといった生活には耐えられないだろう。
自分にはもっと社会とのかかわりあい、人とのかかわりあいが必要な人間なのだ
と改めて思う

不安とは見えない未来に対して持つもので、その不安の大きさは未来の振れ幅
(最良から最悪まで)と、その未来が決定する時の近さに比例するように感じる。

美しい丘の情景を見ていても、思考はつい仕事の事に傾斜してゆく。
それはまるで勾配のついた板の上の水滴のようだ。
思考の天秤を作為的に傾けるのは難しい。

不幸は一度確定すると、消化し受け入れることができる。
たとえ受け入れるのにとても時間がかかるとしても。

人間は「人生」と「生活」を生きている。
「生活」での苦しみは「人生」の糧になることもある。
(↑これは持って行った遠藤周作のエッセイからの抜き書き)

死に直面する時、ひとはだれも「生活」から離れ「人生」にひとりで向き合わ
なくてはならない。そのときの孤独を宗教は救うのかもしれない。
【引用終わり】 ---

それから、こんなメモも。
【引用始まり】 ---
拓真館の裏手の小さな階段。
のぼってゆくと、誰もいない小さな草地に出た。
そこは生命の楽園だった。

群れなして咲くタンポポたち。
蝶が乱舞し、バッタが飛び交い、秋の虫が声高らかに鳴いている。
そして赤トンボの群れ!群れ!群れ!
赤トンボと蝶は必死に相手をみつけてつがっている。
皆が必死で生命のうたを歌っている
命が溢れる草地!
【引用終わり】 ---