風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

「脳」整理法

今、売れっ子の脳科学者・茂木健一郎氏の本である。
題名はハウツー本風の軽い感じを受けるが、読んでみるととても面白い。
それでいて「何について書いているのか要約して」と言われると非常に難しい本。
内容が広く、そして思いのほか深いのだ。
僕の力の及ぶ範囲で少しご紹介したいと思う。

この本の主題は何か?
それは「人生を生きやすくするにはどうしたらいいか」だと思う。
では、どうして「人生は生きにくい」のか?
茂木氏は原因のひとつに「世界知と生活知の距離」を挙げている。

「世界知」とは何か?
一言で言えば科学的世界観、だ。
例えば僕が重い病気になったとしよう。
医師は「この状況ですと、一年後生きている可能性は40%です」と言う。
これは、同じ状況の患者が100人いたら一年後には60人は死んでいるで
しょう、という意味。
これが統計的事実を踏まえた世界知が出す答だ。

その一方で「かけがえのない”自分”は、一年後に死んでいるか生きているか
結局のところ『わからない』」とも言える。
これが「生活知」が導き出す答。
つまり、生活知は、たった「一つの一人称の個別の生に寄り添うもの」だ。
この二つの狭間に立って、常に人は揺れ動き、悩み、苦しみながら生きる。
「世界知」は「この世界がいかにあるか」を指し示すが「個が世界の中でいかに
生きるべきか」は指し示してくれないのだから。

ではなぜ、この二つの知は乖離し距離を持つことになったのだろうか?
茂木氏はその理由として、人間が単なる物質的存在ではなく「クオリア」を
感じる存在であることを挙げている。
クオリア」とは感覚に伴う鮮明な質感のことだ。
夕焼けの果てしない茜色を見たとき湧きあがる気持ち。
素敵な音楽を聴いた時の快さ。
死者を思い出すときの痛みにも似た感覚。
そういったクオリアを、今の世界知はほとんどすくい上げることができない。
生活者としての人間が、物質的な視点では割り切れないクオリアに起因する
「思い」をいかにすくいあげ、どう対峙するかが幸せな人生を送れるかどうか
の一つの鍵なのだ。

この本ではキーワードとして「偶有性」という言葉が出てくる。
「偶有性」とは半ば偶然、半ば必然に起こる不確実性のことで、生きることは、
偶有性を持つ出来事に日々対峙することにほかならない。
完全に規則的で予測可能な事柄ならば、人は恐れも感動も抱かない。
完全にランダムで全く予測不可能な事柄ならば、人は関心をも抱かない。
その中間で、ある程度ランダムに思えるが予測不能でもないようなことにこそ、
人は大きな関心を抱き、なんとかそれに対応しようと苦慮するのだ。
この偶有性への対処こそ大切である、と茂木氏は説く。

では具体的に、偶有的な事象に対してどう対峙するのがいいのだろう?
著者ははっきりした処方箋を出しているというよりも、いくつかのサジェッシ
ョンを提示している。例えば
「避けがたい生の不確実性を覚悟し、それを楽しむ方向で考えること」
「自分がコントロールできることと、できないことを峻別すること」
「成功体験に裏付けられた根拠のない自信を持つこと」
などである。

ええと、なんだかこれだけ書くと「なんだ、それだけか?」と脱力されそう
ですね(笑)
どうやら僕のまとめ方が下手で、網で掬った範囲が恐ろしく小さいようです。
僕の能力の限界かもしれません(ごめんなさい) ^^;
ただ、この本の面白さは結論や処方箋にはなく、世界と個の生の絡み合いに
ついての認識の枠組みにある、とだけは申し上げておきましょう。

僕が面白い!と思った言葉をいくつか抜き書きさせてもらいます ^^

【引用始まり】 ---
「他人の心はわからないといいますが、他者が全く予測不能ではなく、
 偶有的存在であるからこそ、私たちはお互いに心を惹かれあうのです。」

「祈ることで、ものごとがコントロールできるのならば、それほど楽な
 ことはありません。良質の宗教的感覚を持つ人は、祈りが自分の無力感
 の認識であることを知っています。自分のコントロールの及ばないこと、
 自分の無力さを思い知らせる対象に対してこそ、人は祈りを捧げるのです。」

「偶然と必然の間の微妙な「あわい」の領域、すなわち、偶有性の領域の
 ニュアンスをどれぐらい読み取ることができるかによって、投げやりでも
 なく、妄信でもない、バランスのいい生き方ができる可能性があります。」

「偶然素敵な恋人に出会う能力と、偉大な科学的発見をする能力は、実は
 同じである。」

「もともと、人間はきわめて社会的な存在です。「私」という存在の中には、
 さまざまな社会的な関係性が串刺しにされています。私たちは、一人ひとり、
 パフォーマティブな言説にまみれて日々を暮らしているのです。
 その一方で、科学が到達した「ディタッチメント」という知的態度が有効
 に機能する場面もあるはずです。一人の人間として、この巨大で複雑な
 世界についての考え方を整理する局面だけではなく、他者とのコミュニ
 ケーションの現場でも、ディタッチメントが有効な点は必ずあると考え
 られます。」

「どうなるかわからない、予測不可能性をはらんだかたちでの偶有性をもた
 ない他者は、動かし難い絶対的な存在になると同時に、「私」という自我
 が深くかかわるべき相互作用の対象としての資格も失います。
 それが、多くの「公共性」の概念に実際に起こっていることです。
 ここに、いきいきとした他者性を確保するために、いかに偶有性を担保
 するか、という課題が生じるのです。」
【引用終わり】 ---

これ以外にも「セレンディピティ」「ディタッチメント」など非常に面白い概念
の紹介までできなかったのが申し訳ないですが、上記の内容を読んで面白そう!
と思われたらぜひご一読下さい ^^

「脳」整理法 (ちくま新書)

「脳」整理法 (ちくま新書)