風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

僕がおかしいんでしょうか?

ワールドカップ初戦、日本は1−3でオーストラリアに惨敗した。
僕は悔しくて悔しくて悔しくて、そう、今でも悔しくて仕方がない。
W杯関連の他の試合中継などまったく見る気にもならない。

文字情報を求めて僕はネットをさまよう。
僕と同じ見方をしている専門家がいないか探しているのだ。
 
 「守ってカウンター」はまだ日本のサッカー文化ではない、ということを。
 
 屈強な欧米選手に対して90分間耐え抜ける守備の文化は日本にないと
 いうことを。

 日本はラインを上げて場合によってはオフサイドトラップも利用して、
 中盤をコンパクトにして攻撃的に戦う以外、道はない、ということを。

 日本の選手たちは精神的な追い込みが不足している、ということを。


それにしても僕には不思議でたまらない。
なぜみんな、平気でいられるのか。
一般人の人はいいとして、W杯関連のニュースや番組の出演者が「残念でした
よねぇ。早く気持ちを切り替えて次の試合に」などと、どうして笑顔で言える
のだろうか。

笑顔はやめてくれ。
もっと死ぬほど悔しそうな顔を見せてくれ。
一部の専門家からは「はらわたが煮えくりかえっているのを抑えて」という
様子が伝わってきたけれど、他のあの出演者連中はいったい何なのだ。
あなたがたは単に報道しているだけの「部外者」なのか?
「早く気持ちを切り替えて次の試合に」だって?
この惨めな試合はつい一昨日終わったばかりなのに。

こういう時は、怒り、悔しさ、惨めさ、いろいろなネガティブな感情が吹き
上げる。ある意味で「邪悪な野蛮な感情」と言っていい。
しかし、それは人間として当たり前なのだ。
そして「ギリギリのこと」を成し遂げようとする時は、そのネガティブな邪悪な
感情を推進力の一部に使うことが、どうしても必要だ。
そう、人間性に鑑みると残念なことだけれど、邪悪なエネルギーをブースターに
使うか使わないかは、結果に大きな差を生み出す。
W杯は「命をやりとりしない戦争」なのだから。

僕は日本代表の選手たちの「目」が気になる。
マスコミは「落ち着いていて笑顔も見られて」というけれど、それはおかしい。
これから命をかけて突撃する兵士たちが「落ち着いて笑顔」でいられますか?
リングに上がったボクシング選手の目を思い出してください。
他の国の代表選手たちの目を見てください。
「発狂しそうな目」「獣の目」「鬼の形相」をしているはずだ。
日本代表は精神的な追い込みが不足しているのではないか?
ダークサイドのエネルギーを十分にブーストしていないのでは?と思って
しまう。

自分が大きなプロジェクトを受注できなかった時のことを思い出す。
もう、悔しくて悔しくて長い間そのプロジェクトの建造物が見える場所には
近寄れなかった。そして他社を選んだ発注者を恨んだ。
もう他のことなど何も考えられなかった。
そして徹底的に受注できなかった理由、駄目だったことを直視し洗い出し
全てを一からやり直した。
悔しさと怒りがなければ、僕はそこまでできなかったと思う。

一つ、重要なことがある。
サッカーは監督、選手だけがやっているわけではない、ということだ。
サポーターの、そして国民の後押しがあって初めて選手は底力を発揮する。
遠い日本にいてカッカして何の意味があるの、ですって?
考えてみてください。
ドイツにもマスコミや日本人サポーターや関係者は行っている。
彼らは我々の一部なんです。
我々が憤死寸前まで悔しがっていれば、その悔しさは応援の中で日本代表に
届くはずだ。
「死ぬ気で戦え!」というメッセージが。

代表の監督、選手には「切り替える」前に底の底まで「悔しさ」と「惨めさ」
を直視して味わい尽くし、徹底的に反省することを期待している。
僕は選手の目の色が「野獣」に変わることを何より期待したい。

追伸:今日の日経新聞で吉田記者が僕が上げた三つ目「ラインを上げてコン
   パクトに攻撃的に」という意見を書いてくれていました。
   同じことを考えている人がいてほっとしました。