風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

ノートを取ること

4月29日の記事「本いろいろ」で紹介した「複雑さを生きる」を精読するために
ノートをつけることにした。
この本を理解するにはただ読むだけでは僕の頭では無理、と判断したためだ。
仕事以外でノートをつけるのはずいぶん久しぶりではないだろうか(笑)
しかし、ノートを取ってみたらなかなか興味深かった。

まず手で文章を書くことの効用。
普段、仕事の文書のみならずメールにしてもブログ記事にしても、僕の場合
ほぼ全てをパソコンで書いている。今回本を片手にノートに手書きで要約や
まとめを書いてみるとこれがなかなか楽しい上に、まさに精読という感じで
中身が深く頭に中に入ってくる。読む時も一言一句見落とすまいとして読む
ので「ああ、そういうことだったのか」という部分が続々と出てくる。
反対に著者はこの概念の定義をはっきり示していない、なんてのも見つかる
わけだが ^^;
恐らくパソコンでテキストあるいはワープロ文書として入力していたらこの
感覚は得られなかったろう。自分の手を動かして(それもボールペンなので
字を間違わないように注意しながら)書くと、非常に自分が書いている内容
に集中できる。

本を読むという行為とPCのキーボードを叩く、という行為の間にあるどうし
ようもない断絶。
これも大きいと思った。
本の内容を理解できていて自分の言葉で記事を書く場合はいいのです。
本を横に置いて記事を書くこともあるけれど、その場合はあくまで「参照」だ。
しかし、今僕がやろうとしていることは本の内容の理解なので、読んだ時に
得られたイメージや理解や概念を一瞬でも早く脳に定着させたい。
その場合、手書きに勝るものはないと思う。
それからアナログな絵だとかイメージのスケッチを書き込むことができる。
また欄外に疑問点や突っ込んで調べたいことを書き込むこともできる。

昨日、僕はどうしても自宅で読書に集中できず、本とノートを持って近所の
お気に入りのカフェに一人で行ったのだが、これもとても良かった ^^
本の中身にとことん没頭・集中できる。
これは手書きだからできることでノートPCを持ち込んでこれをする気には
到底なれない ^^;

受験勉強の時もそうだったけれど、僕のノートは人に見せたり後で読み返す
ものではない。書くことで理解を助けるツールだから、書き終わったら捨てて
しまっても良いようなものだ。
さて、ノートを取り終わったとき、僕はこの本を良く理解できるようになって
いるのだろうか?
今はそれも楽しみなのだ ^^