風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

藤沢周平「蝉しぐれ」

一青 窈の「蝉しぐれ」が映画「蝉しぐれ」のイメージソングだったことから、
藤沢周平の「蝉しぐれ」を読んでみた。
藤沢周平の小説を読むのはこれが初めてだ。

男が書いた男の小説である、というのが感想。
この小説は断じて恋愛小説ではない。
映画(未見です)では文四郎とふくの恋が主題のように報じられていたようだが、
この原作は男から見た「人生での事の重さ」についてごくまっとうで納得できる
配置をしているのだ。つまり、文四郎のふくに対する思いはごくごく淡いもので、
時折思い出すようなそんな程度のものだ。恋いこがれて、とか思いあまって、
などという瞬間は全く出てこない。
それよりも文四郎の頭の中は、牧家の家名を再興すること、己の剣を磨くこと、
男の友情などで占められている。
そんな中、時折ふくのことも頭をよぎる。
この文四郎の頭の中での物事のバランスは、実のところ、ほとんどの男性の頭の
中の「人生での事の重さ」の構成と同じだと感じられる。
(女性とおおいに違うところだと思う ^^;)

読後感の爽やかさ。
それはやはり、文四郎の生き様にあるだろう。
いつもまっとうでけれんみがなく、男として気持ちのいい男。
この小説はそういう意味で「青春小説」というのが当たっているのではないか。
それだけに、ふくとの20年の月日を経ての再会と交情のシーンは、唐突でかつ
不必要であったように思えてならない。
「とってつけたような」という感じ。
お互いに心残りがあったが故に二人の最初で最後の逢瀬、という場面だが、まるで
中学時代の初恋の男女が、中年になって同窓会で再会してうんぬん、というような
場面を連想してしまい、あまり良い印象は持てなかった。
「見ぬもの清し」とまでは言わないが、余計ではないだろうか。
たぶん多くの読者が「ここがいい!」と感動する場面なのでしょうけれど(苦笑)

自然の描写もとてもいい。
【引用始まり】 ---
道ばたに野の草が花をつけ、何かの水鳥が植え田の中をすばやく横切って畦
の草むらに隠れたりするのを眺めながらなおも歩いて行くと、やがて小川に
出た。欅御殿のそばを流れて来て五間川に入る小川である。
文四郎は小さな木の橋をわたった。そして立ちどまると、笠を上げて前方を
見た。そこまで来ると、丘の麓に長くつらなる金井村の本村が明瞭に見えた。
家々の屋根、家々をへだてる風除けの木立、村はずれの橋、そして何かを燃
やしているらしく、村の中からひと筋立ちのぼる白いけむり、そして田圃だけ
でなく、村の手前の畑にも働く村人の姿が見えて来た。
【引用終わり】 ---

目の前に田園の情景が浮かぶようだ。
司馬遼太郎歴史小説は大局の中の個人を描くが、藤沢周平の小説は歴史を舞台に
した私小説の趣を感じる。視点がマクロにあるか、ミクロにあるか、根本的な違い
がそこからは感じられた。

蝉しぐれ (文春文庫)

蝉しぐれ (文春文庫)