風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

家族が人質

構造計算偽造事件の新聞報道を読んでいて、どうも釈然としないのだ。
この事実・この事件だけがどうこうというのではなく、個人と社会正義のありよう
について考えてしまう。

こういうことがあると
「職業倫理の欠如がなっとらん」
「苦しくても正義感を持って突っぱねないと」
といった子供にでも分かる正義論が振りかざされる。
新聞も雑誌もテレビも、基本的にはそういうスタンスだ。

なるほど、そうですよねぇ、ごもっとも。
建築士がやった事柄の重大性を考えるとその通りではある。
しかしながら、一方でどうしてもこういう疑念を持ってしまう。
エラソーに断罪している皆様は自分だったらどうだろう?と本当に真剣に我が身に
引きうつして考えた上でおっしゃっているのだろうか? 
自分だったらどんなに脅されても、即刻を不正を断る自信がある、と?(笑)
つまり、あまりに簡単に断言しすぎておられませんか?と問い返したいのだ。

僕は考える。
自分がこの建築士の立場だったら、どうしたろう、と。
彼には病気の妻がいた、という。そして病気の妻に療養を続けさせながら生活を
するには、ヤバい仕事を断れなかったそうだ。もし本当だとしたら、ううむ、、
苦しいだろうな、と思う。収入の道を捨てるのにはうんと葛藤し、極限まで勇気
を奮い起こす必要があるだろう。
彼も、ひょっとしたら、本当はそういう狭間でうんと迷ったのではないか。

自分の正義を貫き通すには、家族を第三者の「心理的人質」に取られない才覚が
必要だ。
自分だけのことならいいのだ。
自分だけなら「窮乏生活に耐えられるタフさ」と「収入の多寡に左右されない
プライド」さえ持っていれば、どうなってもまぁ死ぬことはない。
しかし家族がいる場合、それは「心理的人質」になりうる。

アクション映画など見ていると、殴っても蹴られても秘密を吐かない諜報部員
が「子供の頭をぶち抜くぞ」と脅されて、あっさりと敵の指示に従ったりする。
建築士がこれと同じとは言わないが、「家族が人質に取られている」という
意識に負けて、ヤバい仕事を断れなかった面もあるのではないか。
つまり「この仕事を断ったら、妻に高価な治療薬の投与が続けられなくなる」
とか「ヤバい仕事だけれど、辞めたら娘に学校を辞めさせざるをえない」とか、
そういう意識だ。正義を貫くことでこういうものを失ったとしても、誰もそれを
補てんしてはくれない。
だからこそ、簡単ではないのだ。

今の社会で、自分の正義と主義主張を貫くのに何が必要だろう。
泥臭く言ってしまえば、それは「根性」と「お金」ではないのか。
自分の正義を貫き通した時、それによって受ける各種のダメージに耐える精神力
と、自分と家族がある程度の期間は食いつなげて再起するための蓄え。
それを持っていないと、いざというときに勇気を奮い起こすのは極端に難しく
なるのではないか。

現代は一旦収入の道を失ってしまったら、先が見えない世界だ。
だからこそ、自分のセーフティネットは自分の手で編んで作るしかない。
家族を心理的人質に取られた時、自分のセーフティネットが出来ていなければ、
良心が屈服してしまう事態だってあり得るのだ。
「高い倫理観を貫き通せ!」という抽象的精神論より、正義なり倫理観なりを
貫き通せる立ち位置に己の身を置くための「社会的なノウハウ」がもっと論議
されても良いのではないか。

本当に心して、気をつけないといけないと思う。
いざ自分にこのような状況が降りかかった時は、誰も助けてはくれないだろうし、
周囲はさぞ冷たいことだろう。万一、良心が屈服したら、社会は他人事のように、
付け焼き刃のキレイゴトを振り回しながら、僕を冷酷に断罪してくれることだろう。