風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

「カクシゴト考・再び」に寄せて

あづみさんのブログ「なんとなく 楽しい日々を」で「カクシゴト考・再び(2)
としてアップされたエントリにコメントさせて頂いたところ、あづみさんから
問いかけを頂きました。
まず、僕がカクシゴト(隠し事)について、

【引用始まり】 ---
> 問題が起きるのは、自分が深く関わっている誰かが
>「自分にだけは絶対隠し事をして欲しくない」と熱烈に思っている場合
> でしょうね。
> この時に隠し事をするのは「嘘は罪」になるのか、どうなのか?
> 難しい問題だと思いませんか? ^^
【引用終わり】 ---

と問題提起したところ、あづみさんは

【引用始まり】 ---
私は、人に多大な迷惑を掛けるのでなければ、誰しも自分らしい過ごし方
で人生を送ればいいんじゃないかと思っています。
相手を裏切るような隠し事ならともかく、趣味趣向の違いや考え方が相容
れない部分については、無理して受け入れてもらわなくてもいいのです。
でも、受け入れられないからと言って、制限されてはたまりません・・・。
(中略)
何人たりとも、他人の心身の自由を制限する権利はありません・・・よね?
良かったら、awayさんの意見を聞かせて下さい〜!(興味津々)
【引用終わり】 ---

とレスを下さいました ^^
大変興味深い事柄なので、このエントリで少し詳しく僕の考えを書いてみたいと
思います ^^

カクシゴトについて、単純に1対1の人間関係について考えてみますと、要約
すればこの問題は「特定の人間関係でどこまでがカクシゴトの許容範囲か」と
いうことになりますね。
あづみさんが言うように「何人たりとも、他人の心身の自由を制限する権利は
ない(厳密にはこれには条件があるし絶対的なものではない、というのが僕の
考えですが)」のですが、反対に人は独りぼっちではなく社会の網の中でしか
生きられないことを考えると、自分に相対している他者の気持ちや希望をない
がしろにすることはできません。
したがって「カクシゴトは一切しない」というのも「カクシゴトは何をしてもいい
」という両極論とも現実的にまず成立しないだろう、ということがわかります。

では「カクシゴト」が許容される限界とは?
僕はここで「説明可能性」という概念を導入したいと思います。
例えば、ある人が「カクシゴト」をしてそれが相手に露見してしまったとします。
その時に「なぜその事を隠していたのか相手に対してきちんと説明ができなくては
ならない」と思うのです。
もちろん、その説明が感情的、論理的に相手にとって受け入れ可能かどうかは
わかりません。ただ、自分の頭の中の想像上の相手に説明のシミュレーションを
して、納得してもらえる確信は自分で持つ必要があるのではないか。
それがなければ「カクシゴト」はするべきではない。
これが僕が考える「説明可能性」をベースにしたカクシゴトの限界です。

では「説明可能性」があるのなら、実際に説明し、説得し、納得して貰えばいい
ではないか?という意見もあるでしょう。
確かにそのほうが正論でより良いのかもしれません。
しかしながら、生のエネルギーには限界があり、何もかもを目の前に差し出して
議論しながら生きることが果たして可能か、というと現実的には難しいのではない
でしょうか。そんな大変なことをするぐらいなら、取りあえず「カクシゴト」に
しておいて、バレたときにきちんと説明すればよい。そういう考え方はプラクティ
カルな「大人の知恵」としてあってよいのでは?と思います。

人間は論理以上に感情で生きているので、説明がいかに論理的であろうと感情的
には受け入れがたい場合もあるでしょう。しかしながら、人と人が関わり合い
ながら生きていくということは「自分が相手を好きなようにはできない」という
ことと同義でもあります。ですからひとつの原理的な境界線が「相手に対する
説明可能性」だと僕は思います。
カクシゴトをしていたことについてまっとうな説明さえできるのならば、たとえ
カクシゴトがバレて一時的に相手と険悪な状況になったとしても、誠意さえあれば
時間をかければ理解しあえる可能性がある。それが、まっとうな説明ができない
状況であれば、その人間関係に重大な傷が残ったり、そのまま関係が消滅して
しまうこともあり得るでしょう。

あづみさんの以前のエントリHAPPY BIRTHDAY!!に、ご主人に対する思いとして、
【引用始まり】 ---
あなたと興味が重ならない部分があることも、私の方が自由時間が多い
ことも、一人で知らないところに飛び込むことがワクワクすることも、
私が一人気ままに動く理由。
浮気は絶対しないから、私の興味を見逃してね。
【引用終わり】 ---

という一文があり、とても微笑ましく読ませて頂きました ^^
この文章は今回の話題を集約しているように感じます。
あづみさんはご主人に黙って音楽活動に参加していることを「カクシゴト」と
感じておられるようだけれど、それについては、あづみさんなりの「まっとうな
説明可能性」を持っておられると思います。そして逆に最後の行にあるように
「浮気」については、ご主人を愛しておられる上にご主人への「説明可能性」
があり得ないから「しない」と決めておられるのではないでしょうか(笑)

最後に、あづみさん、興味深いエントリをありがとうございました。
勝手に記事引用とTBさせて頂きましたこと、事後になりますが報告させて
いただきます。