風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

ボトルネック

先日、ある大学の先生と飲んでいた時「ボトルネック」について盛り上がった。
面白かったのでここに書いておく。

ボトルネック」とは、瓶の首の細くなった部分。
その狭まっている様子から、一連の流れがある時に最もその流れの障害になる部分を言う。
例えばコンピュータシステムがある部分の処理速度の遅さによってそのシステム全体の速度がそこまで落ちてしまう時、その問題部分を「ボトルネック」と呼ぶ。
言い換えれば、システムの処理速度上の隘路になっている部分、という意味だ。

さて、ここではコンピュータシステムの話ではなく一般のビジネスのお話。
先生曰く、昔はボトルネックが、物流、通信、距離などにあり、人間そのものが
ボトルネックになることはあまり多くなかった。
だからビジネスマンは現代に比べてずっとのんびり仕事をすることができた。
携帯電話もメールもないから、ビジネスマンは移動中や休日や夜間は捕まえる
ことができない。客がわがままを言わず待つ、あるいは諦めるしかないことも
多々あったのだ。
しかし今は全く事情が違う。

携帯電話とメールとPC。
これによってビジネスのある領域では人間の処理能力が「ボトルネック」に
なってしまった。
これらツールとCS(顧客満足)という言葉によって、ビジネスマンはいつでも
補足可能で瞬時にリアクションせねばならない状況に追い込まれている。
「電車に乗っていまして連絡が取れません」
「何せ海外ですので何とも・・・」
「ちょっと休んでおりまして」
というような言い訳はもはや通用しないのだ。

昨日の夕刻の僕を考えてみよう。
出張先でドイツの取引先の前社長が亡くなったという連絡がメールで入ってきた
(むこうは早朝)。昔なら、亡くなってお葬式も終わったころレターで連絡が
きて、こちらも丁重なお悔やみ状をレターで送ったものだ。
しかし、今は、即刻メールで届く。
僕は前社長の自宅に花を贈るようノートPCからショップに手配するとともに、
英文のお悔やみ状をメールで返信した。
この間わずか30分。
昔なら何週間かけてのんびりやりとりできたことが30分で済んでしまった、
と言うこともできる。世の中のシステム処理速度の向上は素晴らしい!という
人もいるだろう。

けれども、とその先生は言う。
人間をボトルネックにする社会はどこか間違っていて、必ず破綻する、と。
真面目な経営者ほど、ボトルネックを見つけてそこを改善しよう、とするものだ。
さて、ボトルネックは「人間」ということになったら、経営者はどうするのか!?
この社会状況下で固定費増になる人を増やすことは避けたいから、一人一人に
さらなる「処理速度向上」を求めることになる。
そこで処理速度向上を求められるボトルネックたる「人間」は幸せなのか?

日本の社会はボトルネックが人間にならないようなシステムを作るべきだ、と
その先生は大まじめで言っていた。例えば、携帯電話の料金を今の10倍に
して本当に必要な時以外は使えないようにしたらいい、とか、PCは思い切り
大きくして携帯できないようにするとか(笑)。

冗談はさておき、今の我々は事実上「サイボーグ」だ。
PCのような外部脳を携帯し、携帯電話とメールという通信装置を仕込まれて
いるのだから。
それでもって、ランチはゼリー状食品で10秒チャージ、なんて冗談じゃない。
もう勘弁して欲しい! 本当に冗談じゃないのだ!
これ以上人間の処理速度を求める方向は絶対まずい、と思う。
「ビジネスエリート」だの「国際派の出来るビジネスマン」とかの内容空疎な
雑誌の上っ面のオメデタイ見出しに自己陶酔できる間はいいのですけれどね。

そんなに人間には持久力はありません。壊れてしまいます。