風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

遺伝子を運ぶもの

先日の叔父のお見舞いから「親族」とか「一族」ということが頭から離れない。
叔父の言葉からは幼い頃から気にかけていた甥に対する個人的な深い愛情を感じ
たし、叔父の分までしっかり頑張らねばと強く思った。
一方でそれとは別に、人間の本能には「自分の血を残したい」という強い意欲が
プログラムされていることも感じないではいられなかった。
そんなことをあれこれ考えながらアンテナ先のブログを読んでいたら、柏倉 葵さんの記事
に遭遇した。
葵さんはドーキンスの「利己的な遺伝子」を読んでおられるのだが、このエントリ
の内容が今の僕の関心を直撃したのだ。

詳しくは葵さんの記事を読んで頂きたいが、生物は遺伝子を残す為の戦略として
血の繋がった近親者に対して『利他的な行動』を取ることがある。そんな中で特に
親から子への利他的行動が突出している理由として次のような説明がある。

【引用始まり】 ---
ここで第2のポイントとして
個体の「繁殖期待値」というものがあげられる。

個体にとって2分の1の近縁度である親は
通常の場合自分よりも平均余命が短い。
それに比べて同じ2分の1の近縁度であっても子供は
自分よりも長い平均余命を持つだけでなく
将来において自分の遺伝子のコピーを
次世代に残してくれる可能性を持つ。
【引用終わり】 ---

なるほど、子供は自分の遺伝子を運んでいるが故に親にとっては本能的に重要、
ということだ。この説明は「叔父→僕」へも(遺伝子の『濃さ』は別にしても)
当てはまるのでしょうね。僕も今の叔父のようなシチュエーションになったら、
今の自分の甥に対しても同じように感じるのかもしれない。

それにしても、と僕は思う。
どうして遺伝子を残すことが人間にとってそれほど重要なことなのだろう?
どうして全ての生命はそれにやっきになっているのだろう?
いったい、どうして?

ごくごく基本的な疑問なのだけれど、答はあるのだろうか?