風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

ブッデンブローク家の人びと

トーマス・マンの本で読んだことがあるのは「魔の山」だけなのです。
しかしながらこれも読むには読んだが実のところ特別な印象が残っていない。
何かを感じたことは覚えているけれど、それが今ではもう思い出せないのだ。
僕に言わせればそういう本は読んだうちに入らない。
青春のある時にその本を読んだ、というだけのことだと思う。
それでもこの「ブッデンブローク家の人びと」は読んでみたいと思っている。
それは、題材に惹かれるからだ。
岩波のHPからそのまま引用すると

【引用始まり】 ---
「ある家族の没落」という副題が示すように、ドイツの一ブルジョア家庭の
変遷を四代にわたって描く。単純で生への気迫に満ちた実業家の家庭が代を
追うにつれ、芸術的,精神的なものに支配され、人々は繊細複雑になって
遂には生への意志力をも失ってゆく。
【引用終わり】 ---

どこに興味があるかというと、自分の家系と重なる部分を感じるからだ。
僕の祖父は最終的に事業は畳んだけれど野心に満ちた事業家だった(一代目)。
父は二代目にあたるが、芸術的、精神的なものに興味を多く持った人だ。
そして三代目が僕。
僕もまた、恐らく世の多くの人の平均よりは芸術・精神的なものへの傾斜が
大きいと自覚している(仕事はもろに実業っぽいことなのですが ^^;)。
つまり僕の家系も「単純で生への気迫に満ちた実業家」から「芸術性・精神性
への傾斜」の傾向が見られるように思うのだ。

これはなかなか面白いことだ。
何よりもまず「食う」こと。それも「腹一杯食う」こと。
貧乏ならばそれを第一に考えることだろう。
その次はよりよい生活を送ること。
そうやって1代目が苦心して人並み以上の生活を送れる状況を作り出すと、
その家庭に生まれた二代目は既にそれが所与のものとして生活する。
悩みや苦しみは「貧乏」という物質的な世界以上に精神的な領域で多く感じ
られることになり、その悩みや苦しみは「お金を稼ぐ」ことでは対処できない。
たまたま二代目も大きな失敗をせずにそこそこの生活水準をキープできると、
三代目はさらに同じ状況が続く。かくして一つの家系の中で「現世的なもの」
から「より精神的なもの」への傾斜というパターンが形作られることもあり
そうにも思う。
だからこそ、そうならないように「帝王学」などというものも存在するのだろう。

何でもそうだが、欲しいものは「本当に欲しい」と思わないと手に入らない。
お金持ちになろうと思ったら、本当にお金が欲しい!といつも考えていないと
(お金が好きでないと)無理なのだ。僕の父も、僕も、幸いにして今のところは
豊かな生活を送っているのだけれど、正直なところお金やモノに直接的な執着が
ない。
これは明らかに「現世的なもの」への関心の欠如であろう。

今、この文章を書きながら、突然思い出したことがある。
僕の奥さんが結婚前に実家にやってきて食事をし、僕の母と洗い物をしていた
ときのことだ。母は真剣な顔をして僕の奥さんにこう言ったそうだ。
「うちの息子はお金にも社会的地位にも興味がないのよ。お金持ちには絶対なれ
 ないけれど、それでも本当にいいのね?」と。
商品の『品質表示義務』じゃあるまいし結婚前にそんなことを相手に告げる母も
母だけれど「ええ、よくわかってます」と平然と結婚した奥さんも奥さんだと
思うが。。。 ^^;

あ、まるきり余談になってしまった。
僕が興味津々なのは、紹介文のその次の行。
「人々は繊細複雑になって遂には生への意志力をも失ってゆく」
僕自身についてはそんな気配はまるでないように思うのだけれど(笑)
それとも僕の次の世代がそうなるということだろうか?

ともあれ、ずっと絶版だったこの本、岩波文庫でこの夏に重版されたので
入手しました。
これから読むのがとても楽しみです ^^

ブッデンブローク家の人びと〈上〉 (岩波文庫)

ブッデンブローク家の人びと〈上〉 (岩波文庫)