風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

リセット

生きることは、過去の残骸を身にまとい、痕跡を引きずってゆくことに他ならない。
そしてそれは時としてとても重かったり醜かったりする。
僕はマイぷれすでブログを書き始めてから4度タイトルを変え、最後は完全に過去の
記事内容を消去した。
そこには僕自身を完全にリセットしたい、という強い願望があった。

僕はリセットできたのだろうか?
先日、僕の過去を知っている友人と飲んだ。
すっかりリセットしたように思っていたのに、その場で晒されたのは、まごうことなく
当時の僕の姿だった。
久しぶりに思い出したその姿は美しいものではなく、僕はいささかの不快感をもって
それを眺めた。そして同時に僕がある人を深く深く傷つけ苦しめたという事実を
もう一度生々しく思い出し再認識することになった。
記憶や感情の澱は心の底の底にヘドロのように沈んでいるものなのだ。

僕は今もその人の心を救うことができない。
僕の心は依然としてその人に深く囚われている。
そこには間違いなく、僕が醜く生きてきた痕跡がある。

こんなことも思う。
たとえば誰かを自らの過ちで死に至らしめてしまったとする。
それは「リセット」できるのだろうか?
そもそも軽々しく「リセット」などしていいものだろうか?
「リセット」できないことだってあるのではないのか?

別の友人の言葉が耳の底でこだまする。
「罪悪感は何も生み出しません。全てが人生において意味があった、と考えないと。
awayさんを見ていると『まだ心が囚われている』と思うことが時々あります」

ええ、おっしゃる通りです。
僕は罪の意識に囚われている。
罪の意識に苦しむことが、その人に対する償いのように感じている。
他にひとつでも、そう、たったひとつでも、その人のために具体的に何か
してあげられることがあったら、どんなにいいだろう?
でも、僕がしてあげられることは何もないのだ。
だから、僕はその人のためにただ祈り続けるしかない。

それを苦しい、と言うことすら憚られる。
僕にはそんなことを言う資格はない。
僕にはそんなことを言う資格はないのだ。

僕は、これだけはリセットしてはならない。