風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

幸福とは?

今日は僕も奥さんも仕事が休みで、朝はのんびりゆっくりの日。
それで、朝食後、二人でいろいろなことを喋っていた。
普通の夫婦はこういう時、どういう会話をするのだろう?
僕たちはまず奥さんの妹が最近買った新居のことから始まって、次に友人が
いよいよ離婚する話に移り、最後は「幸福」について話しあった。
この最後の会話が面白かったのでここに書いておこうと思う。

幸福の定義なんて人によって違う。
アリストテレスの定義、ミルの定義、ラッセルの定義、、なんて難しいことを
持ち出さなくても、恐らくみんな一人一人違うんだろうと思う。
で、僕が考えていた幸福の定義は「著しく不幸な状況でないことを幸福と呼ぶ」
というものだったんだけれど、これはトートロジーですね。
ならば不幸の定義を述べなくてはならないはずだ。
ま、そのトートロジーであるという批判はおいといても、「不幸」と「不幸」
の間の皆があまり意識しない日々を「幸福」と考えるのは悪くないと思っていた。

で、僕の奥さんの幸福の定義。
「その人の願望と現実の状況の間に差がないことを幸福と言う」
ああ、確かに、と僕は思った。
こちらのほうが間違いなく十全な定義だろう。

この定義なら、お金を持っているかどうか、とか大きな家に住んでいるかどうか、
とか勲章を貰ったかどうか、などの外的条件では幸福か不幸かは決まらないと
いうのがはっきりわかる。
年収1億円の人でも自分は2億円欲しいのに、と思っていたら不幸だし、美しい
女性に取り囲まれてモテモテでも、そのどの一人も「本当に恋人にしたい一人」
じゃないのならやっぱりそれは不幸だろう。

「だから」
君は僕を言い負かして得意げに言う。
「私はたいてい幸せなのよ。私がこうあって欲しいということから、これまで
 大きくはずれてはいないわ。もちろん残念なことはいろいろあるけど、私は
 生まれつきそんなに大きな立派な願望を持っていない。
 だから簡単に幸せになれるの」

そうだよね。
君は家にいるとき、ほとんど笑顔だ。
今日、腹が立ったこと、ひどい目にあったことを僕に報告するときでさえ。
君はきっと自分の願望をアジャストすることが上手な人なんだろう。
いろいろな辛いことを経験して「外のことはなかなか変えられない。変えら
れるのは自分自身」ということをうんと学んだんだものね。

と、そんなことを2時間も話し込んだ休日の朝でした(笑)