風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

何に勝つ?

僕はサッカー観戦が好きなのだけれど、選手のコメントを読むのも好きだ。
カメラを前にしてのコメントであり、タテマエ的になる傾向はあるにせよ、
彼らのHPでの発言や、インタビューや、そういうものを読むと、単なる
表向きのタテマエではなく彼らの本心から出ているものと信じられるのだ

【引用始まり】 ---
試合でレギュラーから外されたN選手
「試合に出られない選手は、出る選手のサポートをすることが大事。
自分も出ているときにはサポートしてもらっていたし。そういう仕事
がいいかげんにならないようにしたい。」

同じくT選手
「ベンチにいても自分の役割は変わらない。
100パーセント、チームのために尽くすだけ。外から見ていても、
自分はチームをサポートすることだけを考えていた。」

なかなか結果が出ないS選手
「『やっぱり前に進まないから、もういいや』って思えばやっぱりそこで
終わりなんですよ。続けていても進めないかもしれない。
でも、そこで頑張ってないとチャンスは絶対に来ないし、ラッキーも来ない。
もちろん、僕にも来ないのかもしれない。でも、頑張ってないとゼロになって
しまう。実力もなくて平凡な人は絶対にラッキーなんて入って来ないんですよ。」
【引用終わり】 ---

サッカーはスポーツだが人生の縮図のようなところがある。
偶然と運に左右される割合の大きさ。
努力がかならずしも結果に結びつかない難しさ。
そんな中で選手達は結果をダイレクトに問われ、レギュラーから外されたり
クビになったり、逆に評価されたり賞賛を受けたりする。

彼らは極限的な状況の中で自らに降りかかった運命に相対して生きている。
不遇な状況で彼らが例外なく口にするのは一つは「あきらめずに努力を続ける
こと」、もう一つは「自分が所属する集団のために自分が何ができるか、何が
最良を考えて行動すること」だ。
なるほどスポーツだから人生や社会生活とは異なり「目標」もシンプルで
とても見えやすい。しかし実社会の複雑性の陰に隠れがちだけれども、人生
だって本質は同じはずだ。

彼らは辛い状況を正面から受け止め、それでも所属するチームにつながる最善
の努力をする覚悟を決めている。不遇に拗ねて自分を甘やかしたり、周りの足
を引っ張ったり、起用への不満を愚痴として垂れ流したりせず、叱咤激励して
まず自らに勝って前に向いて歩こうとしている。もちろん心の奥底に不満や
不愉快さがないはずはない。しかし、それを口にしないのは個人の美意識も
あるが、それに加えて己の態度や行動がチーム全体の雰囲気にかかわって
ゆくが故の『我慢』があるからなのだ。

現代は『我慢しないこと』が奨励されているように感じることがある。
それはおかしいのではないだろうか?
僕たちの子供時代は「克己」ということがやかましく言われていた。
周りに勝て、誰それに勝て、ではなく、まず『己に勝て』だった。

それが今はまるで逆だ。
周りに勝て。
誰それに勝て。
しかも、勝つためなら手段は選ぶな。
しかしいったいそれで何が得られるのだろう?

人に勝って得られるプライドは相対的なものだ。
本当の揺るぎないプライドは己に勝ったとき初めて手に入る。
不遇のサッカー選手達が最後まで手放さないのはそういうプライドだ。
僕も、そういうプライドを最後まで大切にしたい。