風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

ハーフパンツ

「半ズボン」がもうちょっと長くなったようなものですね。
これ、何枚か持っていたのだけれど部屋着としてしか使っていなかった。
それを、昨日、外に着て出てみました。

なぁんだ、それがどうしたの?と言われるようなことですが、僕にしてみたら脛を出して
歩くのは久しぶりです。真夏であろうと、摂氏38℃だろうと長ズボンをずっと履いて
いた。何故?と聞かれても答えに窮するけれど、大人が半ズボン姿で外など歩くものでは
ない、と思っていたからでもあり、そういう格好はだらけたオジサンくさい格好だ、と
思っていたからでもある。だから、近所のスーパーに行くにも上から下まで全部着替えて
出かけていた。
そんな僕を見て、いつも君は可笑しがってころころと笑うのでした。

最近、リラックスして「うんとだらける」ことが大切だ、と思うようになりました。
たとえ格好はよくなくても。
それでハーフパンツをはいて裸足にサンダルを履いてスーパーに行った。
なんだか裸で歩いているような、そんな気分で少し恥ずかしい。

でも、裸の脛と足をすり抜けて行く風の心地よいこと!
僕の体が直接、夏の大気と話をしている気がする。
空気の中の温度や湿度が直接、足の皮膚で感じられるのです。
ああ、幸せだ、と正直思いました。

さっき、スーパーに行く途中、雷が鳴って雨が降ってきた。
横殴りの風に乗って飛んでくる大きな雨粒で裸足の足はびしょぬれだ。
それもいいじゃないか。
この季節だからそれだって楽しかった。
皮膚をさらすことで直接大気や風や季節を感じることができる。

誰しも日常と非日常モードを持っていてそのバランスの中で生きている。
ここのところ、僕は「日常モード」に偏ってやや鬱屈していたようです。
なので、生活の中に積極的に非日常を取り入れたいと思う。
うんとだらけたり、どこかにふらっと出かけたり、スポーツ観戦して絶叫したりして、
溜まっている非日常を求めるエネルギーを徐々に上手に解放したい。

鬱屈して行き場のなくなった非日常を求めるエネルギーは、放置しておくと突然爆発
することがある。自分ひとりで済むことならいいけれど、その爆発が周囲を巻き込む
ことだってある。
そうならないよう、うまく日常と非日常のエネルギーバランスをコントロールしたい。

僕が芸術家ならば、溜まりに溜まった非日常エネルギーを一気に解放して芸術的爆発に
つなげることも可能だろうけれど(それによって多くの芸術家たちが周囲に大変な迷惑
をかけてきているが)僕の生き方は違うところにある、と考えているのです。