風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

無償の愛?

この記事は葵さんの記事「無償の愛 支配の愛」からのトラックバックです。
この記事で葵さんは、

無償の愛は見返りを期待しないが
そのまま支配の愛へ移項する可能性があるってことじゃ。

対象に無償の愛を注ぎ続けながら
常に自分のコントロール下に相手を置き続けようとする。

こういう状況は対象が同性異性に関わらず
案外普通に起こり易いことかも知れない。

と書いておられる。
僕はこの世に「無償の愛など存在しないのでは?」と思っている。
全ての愛は、見返りを期待しているのではないだろうか?
母親が子供を思う気持ちでさえも。

そこには種の保存の本能に根ざす情動が底の底にあり、他の人間関係とは異なる部分も
あるのだけれど、その本質的な部分で愛には「依存」という意味がある。
「愛(あるいは裏返しとしての憎しみ)をぶつける形で相手に依存させてもらい、
自己が心理的に充足する」ことこそ「見返り」ではないだろうか?
誰かに激しく愛(あるいは逆の現れとしての憎しみ)をぶつけることは、自分が相手
に深く依存していることの告白なのだ。
依存は愛の本質であり、依存のない愛などあり得ない、と僕は思っている。

いいことばかり、美しいことばかりの事柄などないように「愛」にもダークサイドがある。
「憎しみ」はよく知られたダークサイドだが「依存」はダークサイドではないけれど、
うまくコントロールされないと本人の心や愛の対象に悪い影響を及ぼしたり、迷惑を
掛けたりしかねない。
その一つの現れ方が葵さんが挙げている「支配の愛」だと思う。
「支配の愛」は我欲の現われとしての愛であり、自己の欲望充足が愛の主目的になって
しまう。このケースでは愛する相手の真の利益や真の成長など、我欲の陰に隠れた
二次的な関心事になってしまうのだ。

ユング心理学に人類の普遍的無意識の中に共通してある元型(アーキタイプ)という
概念があるのだが、このカテゴリに「グレートマザー」というものがある。
グレートマザーは限りない優しさと母性の象徴でもある反面、全てを飲み込んでしまう
存在でもある。グレートマザーは目に見えない糸で子供を縛り支配下に置く。
人間の無意識の中にはこの「グレートマザー」も潜んでいるのだ。

愛はキレイゴトではない。
どんな愛もリビドーと情念にまみれたどろどろの汚物を引きずっている。
放っておくと人は他者への依存を求め続ける。
単純に感情と情念に身をゆだねたりすると、それこそ際限なく。

僕が葵さんへのレスに「依存(=愛)『のみ』」に支えられた人生は最終的に不毛で
惨めなものになる、と書いたのはそういう意味を含んでいる。人は他者への依存(愛)
なしには生きられない(異性愛という意味ではありません)。
しかし心のパワーバランスをうまく取れないと悲劇的な結果につながりかねないのだ。

ギリシャ悲劇からシェークスピアなど、古今、愛の悲劇の事例は数限りない。
それだけ事例があっても、人間はさらに悲劇を積み重ねる。
人間の業とは実に深く恐ろしいものだと思う。