危険な年齢
「成人の危機」というタイトルでヘルマン・シュライバーはこう書いた。
「成人の男や女たちをまるで精神不安定の若者のように振る舞わせたり、自由というもの
に酔わせ『自分自身の生活』の探求に駆りたてる」と。
「中年」という言葉を嫌う人たちが多いし、その定義すらはっきりはしていないけれど、
中年期の心の危機というものは種々指摘されてきた。
ユングはこの「危険な年齢」について、このように言っている
思春期あるいは第二の疾風怒濤期であって、
この時期が情熱の一切の嵐につきまとわれることも決して希ではないのだ。
しかしこの年頃に起こってくる数々の問題は、もはや昔の処方では解決されない
のである。人生という時計の針は後戻りさせることが出来ない。若い人間が
外部に見出し、また、見出さざるをえなかったものを、人生の午後にある
人間は、自己の内部に見出さねばならぬのである。
つまりターニングポイントなのだ。
体力、気力、能力の衰えや親子関係、社会関係での社会的立場の変化がこの時期に大きく
起こるにも関わらず、人はそれまでの価値観で自我を支え処理しようとする。たとえば
男女問わず容姿は衰え単純な若さにかなわなくなる、体力自慢でも若い連中には適わ
ない、仕事の能力を自慢しても「給料の割にはねぇ」とささやかれる、子供は自分たち
から独立した人格を主張しはじめる、等々。
あらゆることが既存の自分の価値観の中で不適合を起こし心の底に澱が溜まってくる。
表向きは頑張って普通に振るまえても無意識領域が耐えられず悲鳴をあげるのだ。
ユングはまた、こうも言う。
塞せられるやいなや、たちまち水が堰きとめ
られたばあいのような現象がおこり、いわば泉が溢れて、外側と内側とが
一致しなくなり、その結果、われわれは自分自身とのあいだの調和を
うしないます。このような機会に際会してはじめて、つまりこのような窮迫状態
にたち至ってはじめて、われわれは自分の心が自分とはちがった意志をもった、
自分とはまるで縁のない、いやそれどころか自分に敵対する、自分とは相容れない
存在であることを発見するのです。
ユングはこの無意識に潜む暗い力(=生きている力)と意識的な世界を統合し、
心の全体性を回復しなくてはならないと言う。
ではそれをどうやって行うのか?
心の中の暗い力の命ずるままに行動する?
いや、それでは「統合」にならない。
それは思春期の子供の反抗のようなもので、所詮これまでの価値観と反対のことをして
じたばたあがいているだけのことだ。まず第一に重要なことは、まず自分の中に潜む
暗い無意識の力の存在を認識すること、そのパワーを徐々に解放しつつ、自分の人生の
座標軸と価値観をゆっくりずらしてゆく作業だと思う。
このサブジェクトについてはいずれもう少し深く掘り下げてみたいと思っています。