風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

信じるということ

最近、僕の両親が夫婦揃ってカトリック教会の洗礼を受けた。
彼らはずっと無宗教で生きてきた人たちなのに、ここにきて何かが彼らの心の中で
変わったのだろう。

僕は、以前は宗教の意味がわからなかった。
神というものの存在はどう考えても立証しえないし、そんなものはなくても生活という
のはやっていけるし、何も問題はないと思っていた。せいぜい、苦しい人生において、
何かすがりつくものがあったほうが生きやすいのではないか、という程度に考えて
いたのだ。

僕自身、今でも特定の宗教を信じているわけではない。ただ、年々、宗教や神の存在と
いうものがいかに人間にとって大切なものであるか、ひしひしと感じるようになった。
なんと以前の自分は浅薄な考えを神について持っていたのか、結局何ひとつわかって
いなかったのではないか、という思いは強まる一方だ。

最近強く感じているのは「神の存在は立証できない」とか「神は本当に存在するかどうか」
などということは、宗教の本質から著しくはずれているということだ。
宗教というのは神の存在が立証されたから信じるというものではない。
神は、実証的な存在ではないのだ。
僕は愚かにもこの歳になって、やっとそれがわかるようになってきた。
今は全然うまく言えないけれども、この世界や人間や自然やもろもろの目に見えるものを
超越した何かの存在を信じるということが、その大切さの一つの要因だと感じている。

井上成美という旧日本海軍の提督がいる。
日米開戦に反対し続けたリベラリストで、開戦後は終戦を早めるべく尽力し戦後は田舎で
無報酬で近所の子供に英語を教えるだけで一切社会の表に出てこなかった人だ。
僕が尊敬する人でもあるのだが、この人は晩年、聖書ばかり読んでいたそうだ。

井上は最後までキリスト者にはならなかったが、稀代の合理主義リベラリストであった
井上の心が最後に求めたものが聖書であったということは、とても意味深いことに
思えてならない。