風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

心の世界線

世界線」という言葉がある。
物理学、特に特殊相対論や宇宙論など、時空を扱う分野で使われるのだが、
グラフの横軸に位置(三次元座標を一次元で表す)を、縦軸に時間の流れ
をとって、事物の4次元空間での座標を表すグラフだ。
つまりこのグラフでは、人(なり物)なりが”いつ””どこに”存在する
かが示されていることになり、例えば一人の人間の居場所がどう移り変わ
って行くかは、一本の線で表されることになる。
これをその人の「世界線」と呼ぶのだ。

僕が、ここからの連想で考えたものに「心の世界線」というのがある。
つまり横軸に『物理的な位置』でなくて(感情も考え方も全てを含んだ)
『心の位置』を取ったらどうなるんだろう、というわけだ。
例えば一人の人の心の世界線と、ある一人の人の心の世界線は最初は遠く
離れている。そのうちに知り合う機会があって、その世界線は近づいて
ゆき交差することもあるのかもしれない。そしてまたそのうちにだんだん
に離れていって、二度と交わらないこともあるだろうし、離れたり、くっ
ついたりしながら、長い時間に渡って近い位置にいることもあるだろう。
つまり「心の世界線」は、人と人の心の距離のの時間的変化を表すわけだ。

僕は、昔から人とのつながり、というのをそういう風に捉えてきたように
思う。「一期一会」という言葉があるけれど、ある時期ある期間、他者と
「心の世界線」が交わり共鳴しあうということは本当に素晴らしいことで、
その期間がどれほど続くのかなんて、誰にもわからない。
これは「物理的な世界線」とはまったく違うものなのだ。
だからこそ、他の人の心と共鳴し合っている間は、「心の世界線」が交わ
っている間は『貴重』(日本語のこの言葉より英語の”precious”という
単語がぴったりくる)なのだ。
その瞬間はもう二度と訪れない黄金の時なのだ。

人と人は「ずっと◯◯でいよう」とかいう言葉で縛ったり規定できるもの
ではない。「心の世界線」が交わり、そこで交わされるコミュニケーション
の質と量が一定レベル以上にある時、人はお互いを「親友」と呼んだり、
「恋人」と呼ぶのだろう。コミュニケーションの資源がお互いに(あるい
は一方が)枯渇したら、「心の世界線」はすでに離れていると言っていい
だろう(たとえ表向きの呼び名がどうであっても)。

さて、皆さんと周りの人たちの「心の世界線」は今、どんなカーブを描い
ていますか?