風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

不倫は「家族関係問題」である。

確かに不倫(浮気)というのは「恋愛問題」であるわけだが、それだけ
で語れるものだろうか?
僕は疑問を持っている。
不倫は「家族関係問題」であり、むしろそちらがメインなのだ、という
のがこの記事の主旨です。

僕の持論なのですが、恋というのは一種の麻薬であって、習慣性も高く
はまり込むとなかなか抜けられない、そんじょそこらにない極上の快楽
だと思う。だから、ハマる人が多いのもうなずける。
独身者同士であれば、それはそれで結構。別に問題はないわけですが、
片方、ないしは両方が既婚者になるといろいろややこしい問題が発生
する。つまり、既婚者側の「配偶者」や「家族」の存在だ。

結婚したカップルの片方が浮気をしてそれが発覚し、裁判沙汰になった
とする。普通の裁判では浮気を「された方」が「した方」から慰謝料を
取る。つまり、世間一般の常識から言うと、結婚というのは人と人との
約束事(契約)であり、それを破った以上、応分の責任を追求されるの
が当然、というのが社会通念である、ということだ。

韓国の俳優(イ・ビョンホンだったか?)が言っていた。
「結婚というのは、恋や愛そのものではない。
 なにより『人と人の約束』なのだ。
 年老いて仲良く手をつないで歩ける夫婦というのは、人としての約束
 をお互いに尊重して、ここまで一緒に努力して守りきったんだよ、と
 いう意味でそうなれるのだ」
と。

不倫の恋をしている方のブログを読んでいると、配偶者の存在が希薄な
ケースも多いことに気づく。配偶者との関係が冷え切り、家族関係も
希薄になっていることが浮気の一因であることは否定できない。
そういう場合「異性からの承認されたいという欲望」や「家族からの
無条件の承認への欲望」そして性欲処理をどうするかは大きな問題で
あり、僕も正直なところ即効的な解決策は提示できない。

「バランス」という題名で記事を書こうかとトライしているのですが
まだうまくまとまりません。一言で言えば、人間は真面目な生活だけ
では耐えられず、瞬間の刺激や背徳を求めてしまう部分があることを
認めた上で、その背徳や悪徳への欲望をどう処理するか、家族や他人
をないがしろにしたり、自分にひどく恥じる必要がない程度の悪や
背徳でガスを上手に抜くテクニックみたいなものが必要だ、という
内容です(斎藤さん、まだまとまりません ^^; ごめんなさい)。

すみません。話がズレました。
不倫関連のブログに話を戻すと、中には家族や配偶者を「大切な人」
とか「かけがえのない存在」という書き方をしている人もいらっしゃる。
それから、独身者にも、相手の配偶者に対して「申し訳ない」という
気持ちを持っておられる方もいらっしゃる。
もしそういった気持ちが本当で、不倫から本気で脱却したい、と思って
おられるのなら、ここにその糸口がある、と思います。

不倫を「恋愛問題」とだけ捉えて、自分と相手の気持ちの世界の中だけ
で解決を考えていたら、脱却することは非常に困難では?と思います。
脱却したい人にとっての一番の手がかりは、不倫を「家族関係問題」と
いう視点で捉えることではないでしょうか。
自分の行動がどれほど(自分の、あるいは相手の)家族に迷惑をかけ
家庭崩壊の潜在的危機を高めているか、そこから目を逸らしている限り、
脱却は難しいと思います。

不倫している既婚者なら、自分の配偶者や家族に対して、どれほど
「ひどいこと」をしているのか。
それは「人と人の約束を守っている」と言えるのか。
不倫している独身者なら、自分の行動が「相手の配偶者や家族」を
どれほど潜在的に傷つけているのか。
それは人として、胸を張れるまっとうなことなのか。

バレなきゃ、自分の欲望の為なら、何をしてもいいのでしょうか?
「恋」という名前さえついていたら、何をしても許されるのでしょうか?
こういうことは、人間として、一度は自分の頭で考えてみてもいいこと
では?と思うのですが。