風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

誰もが幸せを探している?

ラジオから流れてくる歌に、こんな歌詞があった。
「誰もが幸せを探しているのに」
そうなんだろうか?
みんな幸せになりたくて、幸せになるために生きているの?

ある本に書いてあったけど、どんな人でも、生活の中で「快」を感じる
より「不快」を感じる機会の方がずっと多いことは実験心理学で立証
されているそうだ。僕自身の感覚としても、楽しいことや快楽はほんの
一瞬で、不愉快なことの方が多いという実感はある。
しかし、いくら頑張っても所詮不快なことの方が多い、という事実が
あるとすれば「楽しいこと」や「快楽」=「幸せ」と考えてそれを
ひたすら追求するのは、実に割に合わないことになる。

今の自分を振り返ってみる。
毎日、大きな快楽や楽しみ、焼け付くような喜びが待っているわけでも
ない、淡々とした日々。もちろん気にかかる心配事はあるけれど、それは
一朝一夕にどうなるものでもなく、辛抱強く見守るたぐいの事柄だ。
職場には仲間がいて、趣味の友達もいて、愛する奥さんとも仲良しで、
やりがいを感じている仕事と、認めてくれる人たちがいる。
心はしっくりと安定していて、波立つこともほとんどなく落ち着いている。
こういう静かな日々こそ、後になれば「幸せ」と思えるのかもしれない、
とも思う。

「不幸」でないことを「幸せ」と呼ぶのかもしれない。
そうであれば、それは探し回るものではないのかな。
幸せとは、不幸と心配の谷間にある安らぎのことで、気がついたら、
たまたまそうなっていた、というだけのものなのだろう。
と、ここまで、ふわふわふわと、あまり僕らしくなく書いてきたけれど、
まぁそれほど、的はずれなおかしな考えではないとは思っている。

さて、最後に一般論ではなく、僕自身の思いを付記してこの記事を締める
ことにしたい。実のところ、僕はこれまで、幸せになりたい、と思ったこと
もなければ、幸せを追い求めて生きたこともない。だから、正直「誰もが
幸せを探しているのに」と言われても、全然ピンとこないのだ(笑)。

女はともかく、男は「幸せ」なんぞ探しちゃいけないのである。
寒風の中を、吹きすさぶ荒野の中を、独り這いずって進んでこそ男だ。
泣き言や愚痴なんて子供じゃあるまいし、くちゃくちゃ言うもんじゃない。
歯を食いしばって、痩せ我慢しろ!
僕は何より、弱音と負け犬根性が大嫌いなのだ。
男なら、辛くても、黙って、耐えろ!

以上!(ああ、すっとした、笑)