風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

キッチン

先日、出張先の本屋で吉本隆明の本を買おうかな、と思って入ったら
一冊もなく、並んでいるのは娘の吉本ばななの本ばかり。きょうび、
吉本隆明なんて流行らんのだろうな ^^;。ところで、吉本ばなな
って人気があるらしいが読んだことがない。いったい、どんな小説を
書いているんだろう、と思って試しに「キッチン」を購入。
読んでみた。

ペンネームなどから、ポップで現代風でlightな小説では?と思って
いたのだが、全然違っていた。愛する者の死とその痛手からの再生の
物語。それが救いようのない暗さで描かれていると、うっ、となるの
だが、物語は新鮮さと、ういういしい叙情と、奇妙な明るさに満ちて
いる。なんとも不思議な小説、だ。

印象に残った部分から。
主人公の女性・みかげの友人・雄一はたった一人の肉親である母親を
亡くし、その痛手のあまり、今までのすべてから逃げだそうと一人で
旅に出る。
みかげは雄一と電話で話しているうち「この瞬間を越したら」彼が二
度と自分たちのところへ戻ってこないだろう、自分たちが「別々の道
に別れはじめてしまうだろう」ことを直感する。
しかし、彼女は彼に何も言うことができない。

と笑って雄一はじゃ、と電話を切った。
とたん、ものすごい脱力感がおそってきた。受話器を置いてから
ずっとそのまま、店のガラス戸をじっと見つめて、風に揺れる外の
音をぼんやり聞いていた。
道ゆく人が寒い寒い、と言い合うのが聞こえた。
夜は今日も世界中に等しくやってきて、過ぎてゆく。
触れ合うことのない深い孤独の底で、今度こそ、ついに本当にひとり
になる。
 人は状況や外からの力に屈するんじゃない、内から負けがこんで
くるんだわ。と心の底から私は思った。この無力感、今、まさに目の
前で終わらせたくないなにかが終わろうとしているのに、少しもあせ
ったり悲しくなったりできない。どんよりと暗いだけだ。
 どうか、もっと明るい光や花のあるところでゆっくりと考えさせて
ほしいと思う。でも、その時は、きっともう遅い。


で、この後、みかげは決心してタクシーを飛ばし、雄一のもとに
「カツ丼」を届けるのだ(笑)。その温かいカツ丼を食べることで
雄一は「こちら」に帰ってくる。
母の死の痛手からの心の再生が始まるのだ。

この人の文章にはリズムと力がある。
そして、誰もが共感できる何か、がある。
そうだよね、と言いたくなるフレーズが沢山つまっている。
それが読まれている一つの理由なのだろう。

さらにこの作品では「自分でも何故かはわからないけど、これを今、
書かずにおれない」という、行間から滲み出る「切迫感」がある。
その「切迫感」が、僕のこころをゆさぶる。

# 計算ずくで書かれた小説だったとしたら、僕は吉本ばなな
# みごとにしてやられたことになる。

誰かの小説に似ている、と考えてみて、村上春樹だ、と思い当たっ
た。その抒情性、文体、愛する者の死の痛手と心の再生へのこだ
わり、など。そして、底流する一種の「切迫感」も。

若い作家、と思っていたけどもう40歳。
若手、とは呼べないのでしょうね。

キッチン (新潮文庫)

キッチン (新潮文庫)