風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

現実主義

現実主義、ということについて考えている。
ベタベタの現実主義と、そうでない現実主義とについて。
僕も「現実主義者」だから、その違いについて考えている。

世の中で起こっている事象を見て、あくまで事実を基に考える、と
いう意味で、僕はやはり現実主義者だし、現実主義者でありたい
とも思っている。
現実からは、いつも目は逸らしたくない。

しかし、現実がこうだから一番無理のない選択を、というような判断
をいつも自分がしているかというと必ずしもそうではない。
僕の場合、そこには必ずもう一ひねりある。
それには、自分自身が持っている理想や原理原則とか、そういう
ものが加味されているのだ。

それが多分、僕がベタベタの現実主義者と折り合いが悪い理由なん
だろうと思う。例えば「友達を営業に利用しなくてどうすんだよ」
と言われれば「僕はそんな目的の為に友達と仲良くなったんじゃ
ない」と言いたくなり「所詮人間は動物だよ」と言われれば「そう
じゃないヤツもいる」と言いたくなり「オマエだって金をどかん
と貰いたいだろ?」と言われれば「そんなこと言われたくない」と
言いたくなるわけだ。

司馬遼太郎の本に「巾着切り(スリ)の賢さ」という言葉があった。
簡単に言ってしまえば『賢さにも貴賤がある』という意味だ。
ベタベタの現実主義的選択は、最も合理的で間違いはないけれど、
僕に言わせれば、それは「巾着切りの賢さ」にすぎない。
本当の「賢さ」には「いくばくかの理想」が不可欠だと思っている。

「principle(原理、原則)」という言葉がある。
欧米人がこの言葉を使う時「絶対曲げられない原則」という意味だ。
同時に「節操」という意味も併せ持っている。
僕の「principle」も随分手垢にまみれて、すり減ってきたけど、
まだ手放したくはない。手放した瞬間、僕は「ただの現実主義者」
になってしまう。