風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

知性と勇気

長く非本質的な会議が終わり、部屋を出たところで先輩が僕を呼び止めた。
「おい。本でいい言葉を読んだから、教えてやるよ」
「何です?」
『知性とは、見たくない現実を直視して、それに対する方策を立て実行
 できる能力のこと』
先輩はこう言ってニヤリと笑い、僕の肩を叩いた。

先輩が言いたかったのは、我々の事業部の会議では誰も「見たくない現実」
を直視しようとしていない、目先の問題について、さも重要そうに討議して
いるけれど、本当の「本質的な問題点」に切り込む勇気を、誰一人持って
いない、ということだったのだろう。
しかし、僕はこの言葉は、全てに当てはまるいい言葉だと思った。

『知性とは、勇気だ』という言葉も、以前どこかで聞いたことがある。
まさに、その通り。
誰しも、自分に都合の悪いこと、痛いこと、辛いことは避けたいものだ。
それを直視すること、痛みに耐えて修正に取り組むこと、悪い部分を断ち
切るには、何より「勇気」が必要だ。

しかし普通の人は、その「勇気」を奮いおこすことができない。
普段は自分は勇気がある、勇敢だ、こんなにやり手で立派だ、みたいな
ことを得意げに吹聴していても、いざ、となると途端に逃げ腰になり、
言い訳を探しだし、正当化にやっきになり、弱い仲間を探し始めるのが、
世の人の常なのだ。

勇気を奮い起こせるかどうかは、「自分自身をどれだけ信じられるか」に
かかっている。たとえ周囲が反対しても、自分はこの道を信じて行く、と
いう勇気は、自分に対する確固たる自信からしか生み出し得ないのだが、
「本当の自信」を得るためには、さんざん自分の頭で悩み考え抜いた思想
を「社会」という金てこの上で「過酷な現実」という槌によって、さんざん
に鍛え抜かない限り無理なのだ。(とても逆説的な話ではあるのだが)


「知的である」とは、外国語が流暢に喋れることでも、沢山本を読んで
いることでも、芸術についての造詣が深いことでもない。

・常に逃げずに、自分自身の頭で考えること。
・どんなに痛い現実でも、目を逸らさないこと。
・自分自身の汚さ、弱さも、誤魔化さず直視すること。
・現実という「重くて厳しい槌」から逃げようとしないこと。

苦しくても、そう行動できることが真に「知的であること」だと思う。
肝心な時に、自分を信じ勇気を奮って、苦しい行動を取れるかどうか。
人の真価はその一点にかかっていると言っても過言ではない。