風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

韓流ドラマ雑感

巷で評判の韓流ドラマが面白い。
僕が見たのは「冬のソナタ」と「美しき日々」だけだけれど、普段テレビ
ドラマをまず見ない僕なのに、すっかり引き込まれて見てしまった。

まずドラマそれ自体の作りは粗っぽく非常にいい加減なところが目立つ。
ストーリーも率直に言えば粗雑で善悪キャラがはっきりしていて、少女
マンガ+昼メロみたいな部分が感じられ、リアリティも、洗練も、見事に
欠如している。音楽のつなぎなども本当にひどいものだ。
つまり、作り物としては、決して上出来な完成度の高い作品ではない。

ではいったい、何が僕を惹きつけたのか?
それはドラマで描かれている愛の形、だ。
例をあげる。

美しき日々」ではミンチョル(イ・ビョンホン)がヨンス(チェ・ジウ
を愛しているのにも関わらず、自分の父親が過去に殺人を犯したことを
知り、自分と一緒にいるとヨンスは幸せにならない、と考えてヨンスに
冷たい言葉を浴びせて無理に別れようとする。話が進んで今度はヨンス
は自分が白血病であることを知り、自分と一緒ではミンチョルは幸せに
なれないと考えて、こんどはヨンスが無理に別れようと冷たい態度を取る。
本当は、一番恋人に側にいて欲しいようなそんなシチュエーションなのに。

冬のソナタ」でも同じようなシーンはある。
交通事故で脳血腫が見つかったチュンサン(ペ・ヨンジュン)は恋人
ユジンと別れて(それも、相手の苦しみを長引かせないために何一つ自分
の想い出が残らないよう処分して)過去の婚約者サンヒョクにユジンを
任せて一人アメリカに旅立ってゆくのだ。

つまり、ここで描かれている恋愛は
『お互いに、相手の事が好きで好きでたまらないのに、相手の幸せを思い、
 歯を食いしばって自分にとって一番辛い道を敢えて選択しようとする愛』
なのだ。ここでの恋愛は、ひたすら相手を思いやる『利他的な愛』であり
決して自分のプライドや感情が中心の『利己的』なものではない。
僕の心を打ったのは、そして多くの人達の共感(僕よりも年齢層が上の人
たちが多いらしいですが)を呼んだのはこの部分だろうと思う。

これをどう取るか、は人によるだろう。
「そんな状況こそ二人で乗り越えるべき」「そんな恋愛、重すぎる」など
という意見もあろう。「自己愛に酔ってるだけ」などという穿った見方
だってあるのかもしれない。
しかし、僕は少し意見を異にする。

自己犠牲(サクリファイス)。
これは愛の究極の形だ。
本当に、心の底から、相手を愛していないと、決してできない。
それを韓流ドラマはストレートに、プリミティブな形で我々につきつけて
いる。やれ、自分のプライドがどう、相手の想う量が自分より多いの少な
いの、といった「メスシリンダーで相手の愛情と自分の愛情の量をいつも
測定しているような恋愛ゲーム」をまるっきり、ぶっちぎっているのでは
ないか?

恋愛の本質はここにある。
世間で「恋愛」と呼んでいる関係の中に、こういうレベルの関係が、いっ
たいどれぐらいあるのだろう? 逆に、本当はこういうレベルの関係しか
「恋愛」とは呼んではいけないのかもしれない、とも思う。

『自分より相手のほうが大切、と思えないような恋に何か意味があるの?』
韓流ドラマはそういう問いを、我々にまっすぐつきつけているのだ。

美しき日々 DVD-BOX 1

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