風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

マタイ受難曲

クラシック音楽のCDの売れ行きが凄まじく減っているそうだ。
本当か嘘か知らないが、5000枚も売れれば大ヒットの部類だとか。
まぁ、これはやむを得ない。別に演奏家やマネジメントのせいとは
思わない。同じく(ここが重要なのだけど)聴衆が悪いとも思わない。

例えば映画を考えてみる。ハリウッドのジェットコースタームービーや
コメディ、恋愛・人情モノを別にしてみると、芸術映画だって衰退は
ひどいものなのだ。それだけ人がそういうものに興味を失ってきている。
それよりも、もっとわかりやすく集中を要求しないエンターテイメント
に流れるようになってきている。

なにしろ現代人には、時間と余裕がないのだ。
わかりにくく、集中を要するようなものは、仕事だけでもう沢山。
もっとわかりやすくて、直接感情に訴えかけて、すぐに、簡単に、
共感し、癒されたい。
それは、ごくごくもっともな、そして切実な欲求だと思う。

しかし、だ。
どの分野でも至高の高みにあるものは、残念なことに人にある程度の
集中を要求する。例えばドフトエフスキーやトルストイの小説は、トラ
ベルミステリのように読み通すことは簡単ではない。
しかし、きちんと集中して読み切ってしまえば、その中に想像できない
ほど多くの真実と示唆があり、それは人を根っこから揺り動かす。

音楽もまた、そうかもしれない。
僕がバッハの「マタイ受難曲」を「人類が生み出した最高の音楽」と
断言するのは、音楽ファン、評論家のほとんどがそう言ってるからでは
断じて、ない。僕自身がこの曲を聴いてそう思ったからだ。
これは途方もない音楽だ。
全曲聴き通すには3時間以上かかる。僕は全曲を聴き通したことは実演
で1度、CDでも数度しかないと思う。しかし、もうそれで十分だ。
「こんな凄い曲は一生の間に何度も聴かなくていい」と言ったのは確か
吉田秀和氏だが、僕もつくづくそう思った。

この曲は一種の宗教音楽劇である。新約聖書の「マタイによる福音書
を忠実になぞって、ベタニヤの香油、ユダの裏切り、最後の晩餐、ゲッセ
マネの園、ペテロの否み、ユダの自殺、裁判、イエスの磔と死、そして
埋葬と進んでゆく。(今年公開された映画「パッション」のストーリー
は、ほぼこの「マタイ受難曲」と重なるはずだ)

もともと「マタイによる福音書」は、新約聖書の中でも非常に主情的で
ドラマチックなのだ。ここで描かれているイエスは、とても人間くさい。
例えばゲッセマネの園では迫り来る受難におののき悩むし、十字架の上
で息を引き取る寸前に「わが神よ、わが神よ、何故、私を捨てられたの
ですか」と天に向かって叫ぶのだ。イエスという西洋が生み出した最も
魅力的なキャラが、すべての人間の罪を背負って十字架にかけられる。
これ以上壮大なドラマがあり得るだろうか?。

バッハはこの宗教ドラマを、渾身の力で克明に音楽で表現してゆく。
人間の軽率さ、卑怯さ、裏切り、迷い、心の弱さ、といったものを。
それにしてもなんという緻密で、かつ、巨大な音の大伽藍だろう。
その巨大さ、崇高さ、美しさには比肩するものがない。
それはキリスト教と全く無縁な東洋人である僕の心をも圧倒する。

よく街角でクラシック音楽海賊盤が500円〜1000円程度で売っているが
、時々、その中に「マタイ」の抜粋版を見かける。もし興味を持たれた方
がおられたら、あれでも十分なので聴いてみてください。時間がないなら
第一曲「来たれ、汝ら娘たち、来たりてともに嘆かん」と終曲「われら、
涙流しつつ、ひざまづき」の二曲だけでもいいです。
人類が生み出した至高の音楽とはどういうものか、耳にしてみて下さい。

バッハ:マタイ受難曲 BWV244

バッハ:マタイ受難曲 BWV244

リヒター指揮の名盤です