読者が感じる痛みには自覚的であり続けたい
何故、インターネットという公開された場で記事を書くのか?
自分の気持ちを吐き出すだけならば、公開などする必要は、ない。
僕も、そして他の日記を公開されている記者の皆さんも「人に読まれる」
ことを大前提にして日記を公開している。その理由はいろいろあるだろう
けれど、一つは、たとえ読んでもらう、という一方通行であっても読者と
コミュニケーションをしたい、コミュニケーションを介して何らかの形で
「人に認められたい」という欲望の達成を望んでいることに他ならない。
だから、どんなに僕が「読者にとって不快なことも書く」と表面上言い
切っても、実は読者の存在を心からぬぐい去ることなどできないのだ。
僕は、読者の心を傷つける可能性がある文章は、特に真剣に、書こうと
思う。揶揄や嘲笑や失笑をしているような、そういった感情的な誤解が
入り込む隙が一切無いように、本当に僕の文章の内容だけを受け取って
貰えるように、極力注意して書くつもりだ。それは顔は見えなくても、
この拙劣な文章を読んでくださっている読者の方へ僕ができる精一杯の
ことだと思うからです。インターネットという場だろうがリアル世界
だろうが、匿名だろうが、これは変わらぬ人と人のコミュニケーション
の基本だと考えているからです。
一言で言うと「ひとのこころを察する」ということです。
僕はこれからも見たこともない、会ったこともない読者の皆さんの心を
傷つけるような文章を書くと思います。それは僕の予想外の言葉で、全く
思ってもみない形で、起こるのかもしれない。
僕はそれに対して、本当にすまない、申し訳ない、と思います。
悪意によるものでなくても、結果的にそうなったのだから。
勝手に読んで傷ついた方が悪い、とは絶対思いません。
僕だって、偶然どこかのサイトを読んで僕のとても痛いところに触れる
ことが書いてあったら、やっぱり嫌だし嬉しくないからです。
人にはいろいろな生き方、流儀があります。
しかし、僕は自分の流儀として人の痛みに対して敏感でありつづけたい。
そう思っています。