幸福の条件
中島義道という、僕が大嫌いな哲学者(印税が彼の手元に入るのが嫌で
彼の本は古本屋でしか買わない(笑)がいるのだが、珍しくまともなこと
を書いていた。彼によれば人が「幸福」を感じるのは以下の条件が満たさ
れている時だと言う(ちょっと言葉を変えている)。
1)その人の特定の欲望が満たされていて
2)その欲望がその人の信念にかなったものであり
3)かつ、その欲望が世間から承認されていて
4)その欲望を満たすことで他人を不幸に陥れない
(『不幸論』より)
中島によれば特に困難なのは4)の条件ということだが、これは確かに
そうで、例えば、独身者同士の普通の恋愛を考えてみても、1)、2)、
3)は問題なくクリアできても、当人同士の恋愛が親なり自分を密かに
想っている第三者を不幸にすることだってあり得る。中島は「全ての他人
を不幸に陥れない」ということになると事実上不可能だから「幸福は実現
不可能」だ、と言いたいようだが、それは問題のすり替えだ。彼はこの本
で「不幸」をきちんと定義していないので、こういう変なリクツになるの
だ、と思う(ま、このあたりでやめておこう)
閑話休題。
仮にこの条件が正しいとしよう。
一例だが「不倫の恋」はこの幸福の諸条件を満たす上でも非常に不利だ。
満たされるのは1)のみであり2)3)4)は多くの場合、全滅なの
だから。不倫に耐えられるのは1)の「特定の欲望の満足」による陶酔感
によって、正常な感覚が麻痺しているため2)3)4)が見えなくなること
によると思う。
恋愛というのは「麻薬」のようなものだから、そうなるもの当然だ。
人間というのは、あるシチュエーションに置かれると信じられないような
ことをしでかす。よく「あんな真面目な人が人殺しをするなんて!」とい
った話があるけれど、なに、僕だってあなただって、あるシチュエーショ
ンに置かれれば、きっと同じことをする。戦争ではごく普通の善男たちが、
民間人を虐殺したりする。ユダヤ人を虐殺したナチスの幹部達だって、
あのシチュエーションにいなかったら、きっと普通の人たちだったろう。
あるシチュエーションでは、正義や、恋や、愛は麻薬として働くのだ。
そして例外的な意志力を持つ人以外、大多数はその麻薬に屈してしまう。
良いとも思わないし、言い訳するつもりもないが、人間の本性とはそういう
ものなのだろう。そういうことを理解せずに、底の浅い正義論を振りかざす
人たちがいる。愚かということは本当に罪なことだ、とつくづく思う。
麻薬の効き目はずっとは続かない。
いつかは覚める時がくる。
しかし、その快感を忘れられず「常習者」となる人もいれば、立ち直る人
もいる。
人生いろいろ、だ。