風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

認められたい

人はいったい「何を求めて」生きているのだろう?
今の僕に一番ぴったりした考え方、それは『自分自身および他者からの
承認』を求めて生きている、という説だ。残念ながら僕自身が考え出した
答えではない。勢古浩爾という人が自分の著書で繰り返し書いていること
である(例えば「わたしを認めよ!」など)
彼の書いていることを自分なりにアレンジして要約する。

人は生きている以上、必ず「他者からの承認」を必要としている。
特に重要なのは次の三つの承認だ。

1)家族からの無条件の承認(父母兄弟からの無条件の『存在への愛』)
2)異性からの承認(男として、女として、恋愛や性行為を通しての承認)
3)社会的な承認(社会的能力に対して、金、地位、賞賛などによる承認)

そしてこれらの三つの古典的な承認を通して、最終的に「自分で自分を承認」
できるかどうかが一番重要になってくる。

この承認論はとても面白い。
ここで注意すべきは、あくまで「承認」であって「肯定」ではない点だ。
例えば「異性からの承認」を求めるのは「ストーカー」だってそうだ。
肯定されなくてもいい。「嫌われる」という形ででも、「男として承認」
されたい、という歪んだ行為。これは学校で勉強やスポーツという形での
「社会的な承認」が得られず、ワルに走るという「否定的な承認」を求め
るところとも通じる。

よく言われる「自分を褒めてあげる」とか「自分にご褒美」なんてのは、
上の三つの承認をすっ飛ばして直接「自分で自分を承認する」ということ
だが、言うまでもなく「他者の承認」による根拠がないので、これによって
安定した充足感を得るのは難しい。

なにしろ人は、誰でも、他者から認められたいのだ。
それを自分自身が認めることが、まず、なによりも大切な出発点だと思う。