風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

鬱に陥らないために

東日本大震災の報道を自宅にいる間、ずっと見続けていた。
あまりに膨大な被害、あまりの悲惨さ、あまりの無惨に息をのみ、目を逸らす
ことができずにいた。
それに加えて原発の事故。
これも刻々と変わる状況を固唾を呑んで見守ってきた。
そして日常の仕事にどうにも集中できずにいた。


しかし、昨日、日経ビジネスオンライン小田嶋隆氏のコラム『今こそ隣人に対して
寛大になろう
』を読んで自覚した。
僕は「鬱」になりかかっていたのではないか、と。


【引用始まり】 ---
しばらくぶりに空の下の道路を走って、私は、自分が、先立つ3日の間、
完全なテレビ漬けであったことにあらためて気付かされた。眠っている時
以外は、一日中テレビをつけっぱなしにしていた。その間、ほどんどまっ
たく画面から目をそらさなかった。こんなにも集中的にテレビの報道を
注視し続けた経験は、たぶん、オウム事件の大団円の頃以来だ。
クルマの中で、オーディオの音量を上げて久々に音楽を聴く。
わけもなく、突然涙ぐみそうになる。
私は、様々な感情を押し込めていたのだと思う。だから、一瞬、感情が制御
を失ったのかもしれない。
というよりも、あの圧倒的な地震報道の映像は、私の精神に、意外なほど大
きなダメージを刻んでいたのだ。


津波の映像はとてもキツい。
あの凄惨な映像を受け止め続けた者は、内面に処理しきれない感情を蓄積
することになる。当然だ。誰であれ、あんな画面を何十時間も浴びせられて、
無事であり続けられる道理がない。
3日ぶりのドライブで私の心が多少とも晴れたのは、外の景色を見たことも
あるが、なにより、テレビの映像から解放されたからだ。
要するに、私はふさぎこんでいたのだ。
私だけではない。この一週間の間、ほとんどすべての日本人は、私と同じ
ように、深いダメージを負っていたはずだ。


今回は、震災報道がもたらしている心理的なダメージについて考えてみたい。
被災者の皆さんが強烈な精神的外傷を蒙っていることは、いまさら申すまで
もない。その圧倒的な傷の深さを思えば、物理的な損害を受けたわけでもない
遠隔地の傍観者が、自身の痛みについてあれこれ語るべきではないのかもしれない。


が、コトは単純ではない。
被災者に手を貸すためにも、彼等の気持に寄り添うためにも、なによりも
まず、直接の被害者でなかったわれわれが立ち直らなければならない。その
われわれが、一時的なショック状態から脱して日常に復帰するためには、
気持を切り替える必要がある。とすれば、まず最初に、私たちは、自分たち
自身が陥っている虚脱を正直に見つめ、理解し、そうやって虚心にこの度の
事態を整理し直した上で、あらためて立ち直りのためのルートマップを作る
べきなのだ。
【引用終わり】 ---


意識してテレビを見る時間をコントロールしよう。
そして日常生活に復帰しよう。