風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

選挙で政治家を選ぶ方法

Dead Letterさんの鋭い見方には啓発されることが多いのだけれど、今回のエントリ
「橋下徹の当選」の意味
を読んで確かに、と考え込んでしまった。

我々が選挙で政治家を選ぶ時、候補者の当該選挙においての「公約」の内容によって
吟味し投票するべし、という考え方が一般的になりつつあるように思う。しかしながら
それはある意味で極めて危なく、極めて不用意である、と言えるのだ。
Dead Letterさんのエントリから以下抜粋。

【引用始まり】 ---
彼(橋下)は自身を支持した大阪府民がどのような「意思」を持っているのか
を恣意的に解釈できる(解釈せざるを得ない)。彼が為した、政治家としての
認識が問われる種々の発言について彼は、「支持された」=「それが民意で
ある」と解釈出来るのである(そしてさしあたってそれを否定出来る内在的
制約は存在しない)。それは例えば石原慎太郎についても同じ。
東京オリンピックには賛成しないが…」というような「東京都民」なるも
のの「真の意図」とやらがあったとして、それを石原が汲み取るべき理由は
ない。
【引用終わり】 ---

このエントリでDead Letterさんが述べておられることは全く正しい。
我々が(もし選挙を通して自分たちの望む社会の建設を望むのであれば)『候補者が
公約で言っていること』をベースに考える以上に『候補者が行いそうなこと、候補者
が行いそうもないこと』をいろいろな角度から勘案推理して投票態度を決めねばなら
ない、ということだ。
考えてみれば当たり前のことだけれど、このことは僕の中では最近認識が薄れてきて
いた。社会一般でもメディアが「マニフェスト政権公約)」と騒ぎ立てるように
なってますますそういう傾向が強くなったように思える。

なんだか時代と逆行するようにさえ感じるけれど、結局、我々が政治家を選択する時
の基本に考えるべきは政治家の「人間としての徳性」であったり、「生きる態度」で
あったり、「何を支持母体としているか」「どこに利益供与する動機を持っているか」
などである、ということだと思う。そういった部分は実のところ公約以外の言動
(失言も含めて)に顕著に表れる。特に「失言」は候補者の「本音」をくみ取る上で
我々に非常に重要なヒントを与えてくれるのではないか。

また別の意味で(それだけではまずいが)「直感」も重要だろう。
「直感」はロゴスのみならず、言語化できないあらゆる情報を統合した大脳辺縁系
介さない生物的な総合判断であるからだ。なので、テレビだけではなく候補者本人を
『見る』ことも重要なのかもしれない。
マニフェストやコミットメントは完璧だけれどどうもコイツは駄目っぽい、危なそう、
という直感が働いたときは僕はその人物に投票しないようにしようと改めて思った。