風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

眉間のしわ

「最近、難しい顔をしているね」と奥さんが言った。
自分ではそれは気づいている。
鏡に映る自分の顔はひどく難しい顔をしている。
眉間にも深いしわが走っている。

いかんなぁ、と思う。
僕だってもっと明るい晴れ晴れした顔をしたいのだ。
しかし、いろいろと考えてしまうこと、考えざるを得ないことがある。
考えていると眉間にしわがより、つい難しい顔になる。

何がそうさせているのかは明白だ。
仕事である。
最近は寝ても覚めても仕事のことを考えている。
考えても仕方ないことは考えまい、としているのだが難しい。
現在の『血中仕事濃度』は95%超である。

お酒を飲むのも会社の人たちとだから、飲んでいてもどうしても仕事の話になる。
では、僕が全く仕事のことを考えないでいられる時はどんな時だろう?
・アスレチックジムでトレーニングしているとき
・サッカーの試合を観戦しているとき
・勉強に熱中している時
ぐらいだろうか?

最近読んでいる本のひとつにマルクス・アウレリウスの『自省録』がある。
人皇帝と呼ばれたローマ皇帝マルクス・アウレリウスが書きつづった書物なのだが、
彼の精神的傾向、人生観、考え方が自分に非常にフィットすることに気づいた。
気づくと同時に「自分に欠けているもの」をはっきり認識することになった。
なぜなら、マルクス・アウレリウスの精神的バックボーンはストア哲学だからだ。

ストア哲学(ストイックの語源)は欲望抑圧的な方向性を持つ哲学である。
生きる喜びや楽しみ、幸福感を積みます方向よりは内向的かつ厳しい自制的な姿勢を
ひとに求める。この書を読んで僕は自分がストイシズムに親和的な精神的素養を持つ
ことを改めて認識することになった。
しかしストイックな人生は、美しく論理一貫性はあっても、楽しみと喜びに満ちあふ
れている、とは言えないと思う。確かにここしばらくの僕には、思いきり楽しみ、
感覚の喜びにひたり、喜びを享受する機会が減っていた。

このままだと、僕は干物になってしまう。
そんな気がする。
生きる喜びと楽しみを回復しよう。
それは自分のためだが、ひいては周りの人達にも良い影響をもたらすはずだ。

僕は仕事から心が解放される時間を自分でもっと工夫して作らないといけない。
一人の旅行はどうやら駄目らしい(余計にいろいろ考えてしまう)。
それから読書も勉強同様、頭の集中力を要して疲れてしまうのであまりよろしく
ない。昔は楽器を弾くことも熱心にやっていたが、あれも集中力が必要でストレス
解消にはならない。
精神を没入させて音楽を聴くこと、・・・これは解決になるのかもしれない。

こころをリラックスさせ、解放させる喜び、楽しみ。
「そんなものは自分で工夫して見つけるしかないのよ」と奥さんが言う。
(そういう彼女はあるアイドルに夢中で、こんど泊まりがけでコンサートに行くそうだ。
 彼のDVDを見る奥さんの視線は恋人を見るようで傍目からも羨ましい限りである ^^;)
「幸せは自分の頭の中にあるのよ。自分で探さないと」

そうだよね。
君が言う通りなんだ。
僕も腰を上げて自分の喜びを探すとしよう。