風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

ジダンの頭突きとフェアプレー

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昨夜、中田英寿の独占インタビューをテレビ朝日でやっていた。
僕が「僕がおかしいんでしょうか?」「W杯一次リーグ敗退を受けて」で書いた
ことと全く同じことを中田本人が語っていたのにはびっくりした(「仕事のプロ
の当たり前」に対する考え方も含めて)。
ただ、僕の記事で書いた「自分の考えをチームに伝え、動かすことができなかった
責任」についての言及は、残念ながらなかった。彼自身がこれから人と仕事をして
ゆくつもりなら、いつか自分で気づいて欲しいと思いました。
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さて、今日の本題。
ワールドカップ勝戦でのジダンの頭突き。
「サッカーで汚い言葉でやり合うのは当たり前、怒る方が悪い」
という意見。そして
ジダンもプレーヤーである前に人間だ。言った選手のほうが悪い」
という意見。
さて、事情聴取をしているFIFAはどういう判定を下すのだろう?
理由はどうあれ、暴力に訴えてしまったジダンに非があることは間違いないが、
暴言を吐いたとされるイタリア人DFのほうは?

以前からJリーグでも、主としてブラジル人プレーヤーたちから
「日本人にはマリーシア(ずる賢さ)が足らない」
とたびたび言われていた。そう言われるたびに「勝負の世界は非情なのだから、
もっとマリーシアを身につけなくては!」と叫ぶ人も多い。
今回の一件はイタリア人DFにとっては、汚い言葉を使って相手の集中力をそぐ
のはサッカーのマリーシアの一部、戦術のうち、という認識は(いつもの試合同様)
あっただろう。
ごくごく当たり前の「いつもやってること」をした、というわけだ。

この命題は「勝つためにはどこまでやっていい?」ということに要約される。
別にサッカーに限る必要はない。
『大きな注文を取るためならライバル会社を誹謗してもいい』
そういうふうに置き換えるとなかなか面白いではないか?

僕ならそんな汚いことをして勝負に勝っても、ちっとも嬉しくない。
勝つことはとても大切だが手段を選ばず勝とうとするのは、見苦しい。
はっきり言ってしまえば、男としてめちゃくちゃ格好悪い「下の下」だ。
サッカーが特別だか、マリーシアか、戦術の一部か知らないが、人を侮辱しなけ
れば勝てないようなら、負けたほうがマシだ。
勝利のトロフィーや莫大な金銭は手に入らなくても、胸を張って生きていける。
誇りを持っている人間なら、そう思うのが当たり前でしょう?

かつて清水エスパルススティーブ・ペリマンという監督がいた。
この監督は自チームの選手に対して汚いプレーを禁じ、常にフェアプレーのみを
することを要求していた。審判に相手選手に対するイエローカードを出させる
ために自チームの選手が大げさに転んで痛がると「フェアな試合をして勝つ能力
がないことを露呈しているだけだ」と激怒したものだった。
ペリマンのような監督はサッカー界では今や少数派だ。
僕はただの一サッカーファンだけれど、Jリーグでもわざと遅延行為をしたり、
大げさに痛がったりしているのを見ると、敵味方問わずうんざりする。
汚いことをしてもいいから贔屓のチームに勝ってくれ!とはどうにも思えないのだ。

ペリマン同様、僕も「少数派」なんでしょうか。
そして、この『ナイーブさ』故に日本代表は弱いのでしょうか(笑)
もしそうならば、僕は、日本代表は永遠に弱いままで結構です。