風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

老人の人生哲学

最近、老人が自分の人生哲学を語った本をあれこれ読んでみている。
これは僕が立てたある仮説を検証してみようと(って大げさですね ^^;、単なる
興味本位です)してのことだ。
僕の仮説とはこういうものだ。

人類が自意識というものを持つようになってから、おそらく数兆〜数十兆の人間
がこの世に生まれ死んでいっただろう。人間にはそれぞれ個性はあり、人間が集
まった集団(家族とか村とか国とか)には固有の文化や特性はあるものの、所詮
同じDNAなのだからそれもある偏差の中に収まるものであろう。
人間が他者の中に生まれ出て共同生活を行い死ぬ、というのが「人生」であって、
既に「人生」が数兆回繰り返されているにもかかわらず「普遍的な人生の原則」
のようなものが、いまだ確立されていないのは何故か?

それは一人の人間の知り得た「賢さ」や「知恵」が個の死によってリセットされ、
次の世代に受け継がれないから、というのが僕の仮説だ。
僕自身振り返っても、自分のこれまでの人生でも一つずつステージを上がって
きた、という実感がある。「迷いの森」を彷徨っている時には五里霧中のことが、
一つステージが上がることで一気に霧が晴れ「迷いの森」を上空から鳥瞰できる
ようになる。そうやっていろいろ経験してゆくと、一つずつ何かを掴み取ること
ができ、自分がわずかずつ「賢く」なってきている。
そうやって、人は老人になればなるほど「賢く」なるのではないだろうか?

しかし、老人たちの「言葉」はほとんど受け継がれることはない。
その理由は二つある、と僕は思う。
一つには、老人達がわざわざそれを文章に残したりしないから。
自分の中でのみ「わかった状態」で死んでゆく。
そういう状況がほとんどなのではないか?

もう一つは老人が「わかった状態」について語っても、周囲の若い人達が
「心の底から分かる」ことができないからではないだろうか。
一般に、下の段階のステージにいる人には上のステージの人の言葉はくみ取れ
ない。あまりに当たり前に聞こえたり、深い意味が取れなかったりして
「腑に落ちない」のだ。
こういう哲学に類することは「頭で理解した」では全く意味が無くて「腑に
落ちて」はじめて人生での実践的意味を持つ。かくして、世代が変われば全て
はリセットされ、人は何千年も、繰り返し繰り返しほぼ同様のことを繰り返す
ことになる。

前置きがとても長くなったけれど、老人たちが人生哲学について書いた本を、
そういう観点で読むとなかなか興味深い事実が見えてきた。
彼らが言っていることは「ごくごく当たり前のこと」なのだ。
つまり、
【引用始まり】 ---
・早寝早起きをして健康に気をつけましょう
・何であれ自分の仕事に熱中し、その中に生き甲斐を見つけましょう
・悪いこと、厭なことは試練と受け止め、前向きに取り組みましょう
・家族や周囲の人達を大切にし、常に感謝の気持ちを持って接しましょう
・いつも正直に素直に生きましょう
・偉ぶらずいつも人や社会に対して謙虚に接しましょう
【引用終わり】 ---
といったような言葉がならぶ。

ここで、自分の人生哲学を本に残せるような人は「成功者」であるから「商売
をうまくやる秘訣」という意味合いで書いているのか?というとそうではない。
これらは「商売の成功」や「金儲けを上手くやる」という観点ではなくて、
「一人の人間が幸せな人生を送る」という観点で書かれたものだ。
面白いことに、無頼な人生、うまく立ち回る生き方、斜に構えたシニカルな
生き方、放埒な人生を推奨したものはなかった。

若い間はいろいろなことがあり、人間も右に揺れ左に振られするけれど、
だんだんに「賢く」なるとその振られ幅が小さくなり、あるところからは
「一本道」が見えてくるのだろう。
その「一本道」は上に引用したような内容の道なのかもしれない。