風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

プラナリア

あづみさん葵さんのサイトでしばしば取り上げられている
山本文緒女史の小説「プラナリア」を読んだ。
考えてみると僕はあまり女流作家の作品を読んでいない。
最後に読んだのは吉本ばななだったか塩野七生だったか、、、なにせ久しぶりだ
と思う。

さて、この物語、率直に言うと「この主人公の気持ちはとてもわかる!」とは
言い難い。それは単に、僕が男で既婚、主人公が女性で独身だから、ということ
ではない。
主人公は乳ガン手術で退院した後、何もかもが面倒くさくなってぶらぶらしている。
彼女の気持ちはこのように描かれる。

【引用始まり】 ---
会社を辞めたのは、ただ単にやる気をなくしたからだ。
何もかも面倒くさかった。
生きていること自体が面倒くさかったが、自分で死ぬのも面倒くさかった。
だったら、もう病院なんか行かずに、がん再発で死ねばいいんじゃないかな
とも思うが、正直言ってそれが一番怖かった。
矛盾している。
私は矛盾している自分に疲れ果てた。
【引用終わり】 ---

主人公はガンになったことについても両親に「あんたたちが肥満にしたからがん
になった」と言って両親にショックを与えたり、同じ病室の年寄りたちが「入れ歯
のない口でもぐもぐ物を食らうのを眺めていると『そんなにまでして生きていたい
のかよ』と叫びだしそうになったり」する。
単純に捉えたら「身勝手な嫌な女」と描かれているのだ。

そういう存在に対して、山本の視線がとてもニュートラルなのが面白い。
同情もしていないかわり、格別非難もしていない。
ただ単に「そういう思いを持った存在がこの世界にあること」を淡々と、しかし
存在感たっぷりに描く。
端から見たら単に無気力でだらしない人間、妙に世間に甘えて拗ねているような
人間、そんな人がいったいどんな気持ちで日々を生き、どんな感情を持って
過ごしているのか。この短編を読むとそういうことが少しわかるような気がする。

上に引用した部分に「矛盾している。私は矛盾している自分に疲れ果てた」という
言葉がある。この同じ言葉を僕自身、ある人からも実際に聞いたことがある。
その人も心優しくナイーブな半面、この主人公と少し似た部分も持っていたの
だった。
だから、この小説で描かれたような心象風景はきっと大いにあり得ることで、
リアルに共感されるものなのだろうと思う。

面白いのはそんな彼女でも「言動にムカつきながらも」支えようとしてくれている
周りの人々の存在だ。
彼氏の豹介やバイトに雇ってくれた永瀬さんなど。
そんな彼らに対してだって彼女はやはり素直になれない。
彼らの純粋な好意に対してすら、彼女はやはり「ムカつく」のだ。
そして、結果的に主人公は支えようという好意に満ちた彼らを「裏切る」。

この短編を読み終わったとき、無気力で甘えて拗ねてはいるけれども、孤独で
承認を求めてもがく人間の魂の叫びに否応なく気づかされる。
それは甘ったれであれ、いい加減であれ、迷惑な存在であっても人間の一つの
ありようなのだ。そしてそうであるが故に、人が人を理解する、あるいは人が
人に好意を向ける困難さもまた示してくれている。
要するに、人はそんなに単純で簡単ではありませんよ、ということだ。

隣人愛と博愛の精神を訴える人は、ドストエフスキーの「地下室の手記」と共に、
この本を読むべきだ。「人間」というカッコつきの抽象的な概念ではなく、
リアルな人間とはこういった「やりきれない部分」を含んだものなのだから。

「それでもあなたは人間を愛せますか?」
これは、山本から読者への問いかけなのだと思う。

あづみさんの感想エントリ‘決めつけ’と‘印象’ 〜『プラナリア』を読んで考えたこと〜

プラナリア (文春文庫)

プラナリア (文春文庫)