風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

沖縄紀行(2)−戦争について考える−

日曜日、レンタカーを借りて「ひめゆりの塔」に向かう。
壕の跡がありそのすぐ背後に慰霊碑がある。
壕をのぞき込んでみると底がみえないほど深くて暗い。
こんなところに隠れて死の恐怖におびえながら、いや自分の死を確信しながら息を
潜めるのはどんなに悲惨な体験だろう。僕には想像することしかできないけれど、
おそらく実際の恐怖の百分の一も想像できていないのではないだろうか。
そう思うと、胸が詰まり苦しくなる。

慰霊碑の隣に小さな歌碑があった。

いわまくら かたくもあらん
やすらかに ねむれとぞいのる
まなびのともは

歌碑の裏側にはこんな解説がつけられていた。

島の南の果てにおいつめられて岩陰や洞窟に隠れた学友たちは堅いゴツゴツ
した岩場で亡くなっていきました。
「いわまくら かたくもあらん」はそのようなかたちで死ぬのはさぞ無念で
辛かったでしょうという意を込めたものです。

さらに車を走らせ平和祈念公園、資料館を訪れる。
平和祈念公園には戦没者20万余、すべての人名を黒御影石に刻んでいる。
その碑のあちこちにお参りにきている人々がいる。
ある特定の名前の前に花を供え、手を合わせる人々が。
ここでの「祈り」は象徴的な平和を希求する祈りではない。
犠牲になった自分たちの祖父母、両親、親族への鎮魂の祈りなのだ。
それが起こったのは、ほんの60年前のことなのだ、と改めて思う。

平和祈念資料館ではここで起こったことについて、もっと具体的に知ることができる。
黒こげになった少年や殺された老婆の亡骸の写真、生存者の虐殺の証言記録など。
そして、これは当時の壕の中の様子を再現したジオラマだ。

鬼のような形相をした日本兵が銃剣を持っている横で、母親が幼児の口に手を当てている。
泣き声で米軍にみつかるかもしれない。それで多くの幼児が日本兵に強制され母親の手で
殺されたそうだ。

「戦争は狂気だ」
「戦争は極限状況だから仕方ない」

このような言説を僕は憎む。
それは「狂気」とか「極限状況」という言葉でごまかして、こういった残虐行為を自分
たちの日常から排除しているからだ。特別な状況で特別な人間たちがやった特別なこと
だ、自分たちには関係ない、と言わんばかりのゴマカシの言説。

それは、嘘だ。
人間は、その壊れた本能の中にどうしようもない暴力性と残虐性を秘めている。
特別な誰かにだけ、では絶対にない。
僕の中にも、これを読んでいるあなたの中にも、間違いなくある。
まず、それを認めること。このような残虐行為をなくす(あるいはせめて減らしてゆく)
には、人間がまずこの事実を認識することが第一歩なのではないだろうか

人間の本能の壊れ方については心理学、精神病理学の方から少しずつ知見が積み重ね
られているけれど、残念ながらその成果は平和を求める思想や運動の領域にうまく
落とし込まれているとはいえないのではないだろうか。ちょうど性に関する本能の
壊れ方についての知見や解明が進んでも、性道徳は一向に改善の様子が見られないように。
平和を求める思想や運動の中に、人間の本能に組み込まれた暴力衝動・破壊衝動をどう
取り扱うか、という視点からの論説があるのなら読んでみたいと思っている。

一日の終わりに、僕は米軍の嘉手納飛行場の見える道路沿いに車を止めた。
長々と続くフェンス。
遠くに見える米軍の軍用機。
そう。
ここは日本だけれど、日本ではない
威圧的なフェンス越しに写真を撮る。

戦争は今も終わったわけではない。
人間が自ら作り出した暴力装置はここに厳然と今も存在しているのだ。