風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

これからの生きる道

ここ数年いろいろな経験をし、いろいろ考えて、自分がこれから生きる道が
ずいぶんとすっきり見通せるようになってきたように思う。
心覚えの意味で、ここに書いておきたい。

僕はこれまで以上に「正直」に生きようと思っています。
それは自分の気持ちや欲望に正直に、という意味ではなく、周囲の人たちの
幸せを常に考えて、裏表なくまっすぐ生きていきたい、という意味です。
だから我欲のために嘘をつくとか、エゴイズムのために裏表を使い分けるとか、
そういうことは、もう今後いっさいなしにしたい。
どんな言い訳をしても、それは「醜い人生」だからです。
なので、裏も表もなく、ただ正直に、まっすぐに生きていきたい、と思って
います。

僕は我欲や野望が格別強い方ではないらしい。
世間一般の周りのいろいろな人と比較すると、物欲も野心も大したことはない。
反面、知識欲や、より善く生きたい、というこだわりや、愛する人たちを大切
にしたい、という気持ちは世間レベルよりもかなり強いようです。
つまり、これが僕という人間の「持って生まれた気質」なのでしょう。

そして僕が一番望むこと(=我欲の中心)はどうやら、周囲の愛する人たち
に幸せを与えることのようです。何がなんでもこれをやりたい、とか、他人
を犠牲にしても自分はこうしたい、というような欲望よりも、僕自身が周り
の人たちに喜びや笑いや善いことをもたらすことで、周りの人たちが幸せを
感じ、逆にそういう存在としての僕自身を承認してくれることに、一番の喜び
を感じているように思う。
だから、僕自身の幸せは、周囲の愛する人たちの幸せと強くリンクしている
のです。

「つまらん人生だな」というご意見もあろうか、と思います。
それは確かに、別の気質を持った人から見れば発狂しそうに退屈な人生かも
しれない。しかしたとえば高杉晋作アドルフ・ヒトラーが「ああいう人生
(=自分のやりたい事のために他人に迷惑をかけまくった人生)」しか送れ
なかったように、僕には僕なりの気質に合った生き方が一番よいのだろうと
思う。もちろん、それは何もかも我慢して我欲を殺して仙人のように生きる、
という意味ではなく、自分がやりたいことをするとき、それが誰かに迷惑を
かけないか、自分を偽らなくていいか、天に恥じない行為なのか、しっかり
確かめてから行う、というごく当たり前のことなのですが。
第一、僕には「愛する人たちに迷惑をかけてまでもしたいこと」なんてもう
格別思い当たらないですし(笑)。

もっとも、人生とはそんなに単純なものではなく、陥穽も待ち受けているし
下の記事で書いたファンタスムのようなわけのわからない衝動が突き上げる
ことだってあるのかもしれない。しかし、ある読者の方に指摘されたように、
僕はどうやら『人生の越えるべき山を越えた』ようです。
今見えている人生の風景は、以前見えていた風景とは全然違うから。

これからは、自分の人生の「純度」をさらに上げていきたいです。
今、とてもすっきりした気持ちでこれを書いています。